さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
庭の桃満開
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     庭の桃は今年も、早くも遅れもせずに満開になった。

     20日は母の命日で、15回目になる。

     満開の桃が、昨日のことのように思い出させる。

     

     

        

     

     母が亡くなったのは70歳だった。

     病気には勝てないが、もう少し、平均寿命ぐらいまでは元気でいてほしかったなあと思う。

     ふと丈夫だった頃が浮かんでくるたびに、そんな風に考えるのだ。

     

     

     母も、父も健在の時から、私は自分の思うように仕事をし、遊び、そしてあまり好まない方向に学んでいくのを見守ってくれた。

     親孝行というのには逆行していたと、今更ながらに思うのだ。

     

     今勤め人としての定年を過ぎて、仕事をしなくても何の不自由もなく過ごすことが出来るのは両親のお陰だ。

     その時その時、自分のことだけを考えて、好きな方を向いて、思うだけ行きつ戻りつしている。

     弟たち家族や縁のある人たちは心配しているだろうから、出来る限り迷惑を掛けないように暮らしていきたいと強く思っている。

     

     

     今年も、仏前に供えるのは手作りではないことに許しを請う。

      (近所の農家の人がつくったもの)

     

     よく作ってくれたかぼちゃの饅頭があったので供えます。 

       

        

            

     

     

     今頃だから、草餅です。日(ことび 季節の行事など)に作ってくれた稲荷寿司を。

     

     

               

     

     

     孝行をしたい時分に親はなし、とはよく言ったものだ。

     引き戻すことは出来ないし、止めるわけには往かない。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    どうするの日本
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       7日未明米がシリア・アサド政権の軍事施設を空爆した。

       中国の習近平主席を迎えて首脳会談の直前だ。

       

         米軍は地中海東部に浮かぶ駆逐艦2隻から59発のトマホークミサイル

        をシリア中部の空軍基地に打ち込んだ。

         シリアのイドリブ県で4日に行われた化学兵器によるとみられる攻撃

        で86人が死亡したのに対して、米政府はアサド政権によるものだと断定

        その拠点だとする空軍基地への爆撃。

       

           ※ この空爆について、国連の安全保障理事会は5日、緊急会合

            を開いたが、意見が対立していて、当初目指していた非難決議

            案の採決先送りされていた。

       

       トランプ大統領は最初に、「致死的な化学兵器の拡散を妨げることは米国

      の安全保障上、極めて有益である。」とコメント。

       

       

           (ikily.xsrv.jp)

       

       

       シリアにおける米ロの関係がはっきりしている。

       アサド政権を支援してきたロシア。攻撃された基地にも武装ヘリを配備。

       

       米国防総省は、攻撃の2時間前にロシアに、基地から撤収するよう通告。

       

       プーチン大統領は、攻撃を非難するコメントを出していた。
         「主権国家への侵略行為であり、国際法違反である。シリア軍は

          化学兵器を保持していない。廃棄した事実が国連機関によって

          証明されている。」

       

       

       7日 男 安倍首相が、「化学兵器の使用を許さないアメリカ政府の決意

           を日本政府は支持する。」と表明した。(16時01分)

       

       

         7日 国連の安全保障理事会の緊急会合  

        米ヘイリー国連大使「民間人が犠牲となった化学

       兵器の使用は許されない。我々の行動は十分に正当

       化される。」と、更なる軍事行動の可能性を示唆。

       

       

         これに対して、アサド政権を支えるロシアは「アメリカの攻撃は

        国際法違反であり侵略行為だ。自制を求める」と強く非難した。

                                      (TBS NEWS etc)

       

       

       支持はどうかなぁ・・・。傍観者でいると、存在は軽視されるが。

       

       

       

      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      道徳の話が出来るか
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         学校では、新入生を迎える準備が続いていることだろう。

         春の高校野球大会地区大会の組合せも発表されている。

         

         新年度が始まっている。だろう。

         小学校で2018年度(中19・高20)から道徳が教科化されることには注目だ。年間指導計画はあったが、、「教科の授業と同様」に「検定教科書」が使われ、「学習状況や道徳性の変容に関わる成長の様子」を把握して、児童・生徒を評価することだ。

         

         円滑な社会生活を営むためにさまざまなルール・マナーを身につけ、善悪を判断する力を付けようとしてきた指導に、
        いじめ問題の解消に力を入れようとするものらしい。

         

                                           

         「天下り」問題が続いて噴出している文部

        科学省の弁に、説得力があるとは思えない状

        況あちこちに見えている。

         

         

         文科省が小学校の教科書の検定結果を公表した。

         

           話し合ったり、発表したり、主人公の役を演じ

          て考えたり、学習方法は多様に示された。しかし

          肝心の中身は学習指導要領にがんじがらめだ。

           「パン屋を和菓子屋に、アスレチック・・・を和

          楽器屋に」と、修正して検定をパスしたという。

           すでに、「人としてどうあるべきか。自分は

          どう生きていくべきか。」には、ほど遠い。

         

         

         道徳科の内容として、「正直,誠実」「節度,節制」「礼儀」「感謝」などの22の徳目が定めている。

         

         教育勅語の一部を、これらと同様なものと考えて、学校に進めるべきだと主張する人がいる。

           爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)ニ孝(こう)ニ 兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)シ 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)シ(じ)・・・

         

         森友学園を巡る一連の騒動で、その教育内容について触れた稲田防衛相の参院予算委で答弁だ。(3/8答弁ではなく、私見の発表だったろう。)

         現防衛相の言とは信じがたい。教育勅語を持ち出したこと。教育勅語礼賛を公表すること。

         

                   

         

         教育勅語は、明治天皇が教育の基本方針示すために出した勅語であることを忘れてはならない。

         大日本帝国憲法の発布直後、大日本帝国における国民道徳の基本と根本理念を明示するために発布された。

         

            教育勅語は、1948年に、日本国憲法や教育基本法に

           反するとして、軍人勅諭とともに衆院で排除に関する

           決議・参議院で失効確認に関する決議が行われている。

         

            3日、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材と

           して用いることまでは否定されることではない。」と閣議

           決定した。

         

            官房長官は記者会見で、戦前に使われていた教育勅語に

           ついて、わが国の教育の唯一の根本とするような指導を学

           校で行うことは禁止されているとする一方、教材として使

           用することまでは否定されていないという認識を示した。 

            文科相は衆院決算行政監視委で、歴史の理解を深める観

           点から教材に用いることは問題ないとした。

         

         

         18年度から教科になる道徳の授業は、間もなく再開する。

         1955年から行われた道徳に、私たちの世代も育てられた。

         優しく賢い日本の国民を育てるために、公教育にあっては時代が拒んだ教育勅語の精神を排除した教育が行われることを望んで止まない。

         

         

         

        Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        東山魁夷と平山郁夫
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           東山魁夷を観てきた。

           

             唐招提寺御影堂障壁画展     茨城県近代美術館   

                            

               濤声

           

           

           障壁画ということで、大きい、いや長く琳派のような雰囲気だった。     

           この「山雲」は試作で、今時のテレビ画面くらいの大きさ。

           

           これはメインではなく、私の見たいものだっただけ。

           メインは、障壁画すなわち襖ふすま絵だった。

           16枚分の迫力は言うまでもない。

           

           溜息や感嘆が漏れていたが、私にはそこまでの感動はなかった。

           

           

                   山雲

           

           

           これが、東山魁夷の中では、好きな類だった。

           

           

           平山郁夫のシルクロード・パルミラ遺跡を往く隊商を観たのは、2週間前だったか。

           

           

               

           

           

           観覧者は、連れだった高齢者が多かった。3週間で、1万人を越えたという。若い男性は数えることが出来るほどではなかったかと感じた。

           

           

           東山魁夷展は、地方ながら文化都市の水戸で開かれていることもあるのか、2月中旬からの1ヶ月半で3万人を達成したと聞いていた。

           どちらの展覧会でも、元気な高齢者が多かったことに驚いた。

           作品と私たちの物理的な距離が縮まっているから、これからまだ観る機会があるかもしれない。

           

           長い時間にわたって価値を認められてきた作品が、多くの人に観られるようになっていることは素晴らしいことだ。

           観覧者の絵を観る capacity あるいは readiness は、自他共に問題にされていないようだ。いいことだろう。

           いや、その文化あるいは芸術の価値を理解・享受するには、予め備わった(理解)能力を必要とするカテゴリーがある。絵画や音楽では、それをあまり求められないようで気軽なアプローチが出来ることには嬉しい。

           

           

              茨城県近代美術館

           

           

                  

                                  千波湖対岸に水戸芸術館

           

           

           

          Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          思い出す旧烏山高
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             ここ烏山での仕事にも、ピリオドを打つことにした。

             40年余り前の3年間を過ごした母校だっことは、教えることで「終わった人」になるのにもいい機会だと思った。

             それほど楽しかったとは思えない当時の生活を思い出すのは、時が流れたせいなのか。

             

             多少手が加わりながらも、当時が残っている南校舎、体育館。

             創立者川俣英夫先生像と川俣記念館。


              
                 

                   2度目の改修にかかった川俣記念館に

                   2月末多分今年最後の雪が降った。

                              

             一年前に入った校舎では、受け継いでいるものはほとんどなかった。

             人はなく、古ぼけた図書館ぐらいだった。

             

             何より私たちを鍛えてくれた旧烏山高の空気がなかった。

             (現校は07年女子校と統合した新校だと逃げ、改善を図らない。)

             

             

             私が在学した頃には、たくさん烏高OBがいた。

             3年に進級して受験シーズンまでの補習授業では、苦手な数僑造覆蘆訖抜きで夕方まで続いた。

             後輩への要求は、日頃から無情に高かった ・・・。

                                    

                                                                                                                                  

                     時代に合わせてか、

                 北校舎等の改修時に、

                昇降口付近も、

                 モダンな姿に様変わり。                    

             

             

             

             その07年に統合した新烏山高校は、今年’17年に創立10周年を迎えるということで記念誌が編集されつつある。

             そして偶然にも、その原稿の校正の役をもらい、烏高が息づく文章に出会った。

             

                旧烏山高校の104年の歴史をもって ・・・この地方に教育を興し発展

               させた創立者川俣英夫先生 ・・・今後とも脈々と伝え継ぎたい。その胸

               像はまさしく当地方の教育文化遺産である。(旧烏高教員)

             

                「そんなことをしたら、切腹ものだ。」同窓会統合に向けた会議の

               中で、川俣像を移設してはとの意見に対する烏高同窓会役員の言葉で

               あった。

                烏高の同窓生の強い思いを感じた。在校時代の母校愛教育がしっか

               りなされた結果だと感心させられた。(旧烏女高同窓生)

             

               
               

                  川俣英夫先生像             旧校訓碑

             

             

             文武両道の烏高の復活には、どうしたらよいかを物語っている。    

             当時、明治40年私立烏山学館の創立者川俣英夫先生に一礼して出勤してくる職員がいると聞いたことがあった。

             私の中に「至誠・不屈・礼儀・協同」の「川俣精神」を受け継いでいるが、それによって後輩を鍛えることができなかったと言えよう。私の中にはあるが、形にも中味にも、旧烏高は存在しない。

             

             

             

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            心の富める者
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               金正男(キム・ジョンナム北朝鮮の金正恩労働党委員長の異母兄)氏が殺害された事件をめぐり、正男氏の息子キム・ハンソル氏(21)の過去の英語インタビューが流れるのを見た。(2012年10月フィンランド公営テレビ局実施)

               

                「父(金正男氏)は常に僕に対し、家系のことは忘れ、自分の

                 人生を生きなさいと言っていた。」

               

               

                「両親はいつも僕に、目の前にある食べ物を食べる前に、普通の人々の

                 ことをまず考えてみなさい、飢えに苦しむ人々のことを考え、自分の

                 今の恵まれた状況について感謝しなさいと教えてくれた。」

               

                「父(金正男氏)は政治に全く関心がなく、母は一般市民だった。」と、

                 打ち明けたという。(Chosun online)

               

               父親は、息子を、あの国にあって、そう諭していたのか ・・・。

               

               

               私は、これを国内の「いじめ」問題と同時に見た。 

               

               重大ないじめを調べるため設置した第三者委員

              会による調査(平15度/全国/公立学校)結果が、4

              割以上に当たる13都府県の計18件で公表されて

              いなかったという。(共同通信)

               公表されなければ検証や再発防止策の共有は困

              難になり、判断の妥当性が問われそうだ。

               文部科学省は「特別な事情がない限り公表が原

              則」との立場をとっている。2011年の「いじめ防止法」が適用されないのは、省の教委・学校に対するパワハラではないか。

               

               

               今月中旬、愛知県一宮市市立浅井中3年生の男子生徒が自殺した問題では

                校長が記者会見で、「(担任の)不適切な指導があった。」と謝罪した。

                前日の保護者会で「教員のいじめ」だったが、学校の見解でないと訂正。

                説明が覆ることに、保護者から不信の声が上がった。

               

                     

               

               2日後、「担任は市教育委員会の聞き取りに対し『自分としては、いじめはしていない。』と説明した。」ことが伝えられた。(朝日デジなど)具体的内容もあるが、「いじめ」にあたるかどうか。

               市教委は第三者委員会をつくり、自殺に至った経緯を検証という。

               

               大人の世界で、「いじめ」と思われるような出来事が蔓延しているのだから、子どもの間に同様の人間関係が起こっても不思議ではない。

               防止法をつくった議員、監督不行き届きを謝罪する立場の人から、業務の適正な範囲を超えた精神的・身体的苦痛を与えるような行為をなくすことが、子どもの「いじめ」をなくす道だ。

               

               

               

              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              グローバル化対応で失うもの
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                 14日、文科省が小・中学校の学習指導要領改訂案を公表した。

                 「社会に開かれた教育課程」を重視するとした改訂の方向性を示した前文が、新たに設けられた。

                 

                 小学校で 5,6年生で外国語(英語)を教科化

                      プログラミング教育の必修化

                 中学校で 主権者教育の充実や部活動の在り方等明記

                 全教科で 「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)の導入

                 

                 3月15日までパブリックコメント(意見公募手続き)を行い、3月下旬に告示される見通しだ。

                 

                 

                 目立つのは、

                      グローバル化に対応した英語教育の前倒し。「聞く・話す」を

                     中心に英語に親しむ「外国語活動」を小学3,4年に導入し、現

                     行で外国語活動を実施している5,6年の英語は教科書を使って

                     「読む・書く」も加えた正式教科にすること。

                 

                 これからの時代に求められる教育の実現のため、学校が社会と連携する「社会に開かれた教育課程」を掲げる具体策がこれか。

                      小5,6は英語の授業が年70こまに倍増、小3,4は年35こま

                     の外国語活動が新設されるため、この分の授業時間数が増える。

                     他教科の時間数は削減せず、15分×3としたり朝の自習時間を

                     使ったり、「脱ゆとり教育」路線継承もいいところだ。

                 

                 

                 実施は、小学校2020年度、中学校は21年度、高校は22年度から。

                 

                  すでに、モデル的に取り組んでいる学校

                 があるというから周りが大変だ。

                 

                  グローバル化への対応のための「主体的

                 な学び」の学習効果の検証と向上のために

                 と、教員の多忙(感)が解消されないままに

                 先行導入することは、学ぶ側・教え目側双

                 方に負担が増すだけだ。
                  いつでも、まず教員に求められる。

                 

                 

                 

                 必修化となったプログラミング教育は、算数や理科、音楽、総合的な学習の時間などを活用して、プログラミング的な思考を身に付けるとした。社会のインフラがプログラミングによって動いている事実を体験的に学ばせるが想定されているという。

                 

                 またPISA2015の中で、日本の子どもたちの

                読解力が下がった原因が、コンピュータに不慣

                れなせいではないかと指摘し、「コンピュータ

                で ・・・情報手段の基本的な操作を習得するため

                の学習活動が必要」を強調するのは、可笑しい。

                 

                 

                 面白いのは、

                   小中学校の社会科で「鎖国」の表記を「幕府の対外政策」に改め、中学歴史でも

                  「聖徳太子」を「厩戸王うまやどのおう」に変えるという。

                 「開国」は、欧米諸国との関係を表す際に使われていたため現状のまま残すという。

                グローバル化対応で、気をつかったつもりか。

                 

                 

                 嬉しい 中学校の英語科に、「英語に触れる機会を増やし、考えや気持ちなど

                  を英語で伝え合えるようにする。」というのがある。

                   まず日本語で、国語科で十分にやるべきだ。

                 

                   グローバル化対応の名の下に、日本の子どもがあるいは各々の学校が

                  持っている教育風土や学校文化を失いつつあるのではないか。

                 

                 

                 

                Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                映像が文字を超えつつ
                0

                   

                   公開から3ヶ月も経った今頃、話題のアニメ映画を観た。

                          「この世界の片隅に」

                   

                   

                        

                   

                   

                   ニュース、コマーシャル、ダイジェスト版などにつかまえられた。

                   

                     今やアニメを抜きにして日本映画は語れない。子ども向けの娯楽

                    一辺倒の作品は相変わらず目立つが、総合芸術の名に恥じぬ良質の

                    アニメも少なくない。その代表の座を確かにしただろう。(天声人語)

                   

                   

                   これまでの日本映画歴代1位の興行収入を誇るジブリの「千と千尋の神隠し」、これに同じアニメ映画の「君の名は。」が続いた。それで2016年の国内の映画興行収入は過去最高の2355億円を記録したという。そして「この世界の片隅に」だ。 

                   

                   制作側は、これほどに観客を集めるとは思っていなかったのか。私が考えているよりも制作費がかかるのか。

                   

                     エンドロールでは映画製作に賛同し、広く薄く集める手法のクラ

                    ウドファンディングで資金を提供した3374人の名前が映し出され

                    る。良質な映画にありがちな資金難を解決する一つの方向性を示し

                    ている。(AERA 2017年1月2-9日号)

                   

                     日本映画製作者協会新藤兼人賞授賞式で俳優津川雅彦の乾杯挨拶

                      「日本映画が素晴らしいのは、安く作ってもいい作品ができること

                    だ。」とほめ、一方で 「配給会社は利益を吸い取る。制作側が儲か

                    るわけがない。」、こうぶちあげた。(同)

                   

                   

                    戦艦「大和」が停泊する軍港の広島県呉市を舞

                   台に、広島市から嫁いだ若き女性の主役。度重

                   なる空襲で姪を亡くし、自身も腕を失う。美し

                   い色調の画面に、過酷な日々が描かれていく。

                            

                   

                   観客に子どもが多く含まれると想定していなかったと片渕須直監督は言っているが、上映時間は親子で観られる設定にさせられていたようだ。

                   

                      戦争の無情さ、苛酷さ、 を重く感じる。

                      (これは優れた反戦映画だ。私は戦後生まれだが。)

                   

                   

                   小中学校の教科書に載っている戦争を扱った教材は、消えるが先か、アニメ映画に負けてしまうかもしれない。

                   ちいちゃんのかげおくり(小3) 一つの花(小4) 大人になれなかった弟たちに・・・(中1) 夏の葬列(中2) ひよこの眼(高3) 他

                   

                   

                        

                   

                   今はない「石うすの歌」(6年 光村図書) は、範読に涙を禁じ得なかった。

                   

                   

                     

                   

                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                  面白い授業って
                  0

                     

                     ある地方紙(soon)が、兄弟のお笑いコンビの兄の方のコメントを載せてい

                    た。「わたしと今とツナガル世界」という欄に、600字くらいの「必要と

                    されるプロ意識」という見出しがついていた。

                     

                     出だしは、私には手厳しい。

                     

                        通っている高校での授業中、おしゃべりしている子や寝ている子を

                       怒っている先生を見て、考えてしまった。

                        サボっている生徒が責められるのは当然ですが、一方で、もっと彼

                       らが面白がるような工夫は出来ないものだろうか、と。

                     

                     

                     全く耳の痛い話だ。

                     高校の三年生なら、もう卒業まで2、3時間しか残っていない。そういう生徒を150近く見ているので、他人事とは思えない。

                     そして、目の前の現実が同じなのだから、「そうだ。」と同調してしまう。

                     

                     終わりが見えてきて、「これだけは言っておこう。」というものを、例などの資料を用意すると、紙も時間も、労力もその3倍はかかってしまう。

                     それでも結果は同じなのだ。

                     

                           

                          

                     

                     

                     授業風景を写真に記録しようとすると、整然としていることが少なくない。それはそれでいい。

                     文部科学省が新しい指導要領で導入を勧めている「アクティブラーニング」どころではない。

                     まあ、すぐにどうのということでもないし、知らないから生きていけないというものでもない。外のものと同様に、知識ととしていると便利だったり、自分の世界が広がったり、豊かになったりすることもあるだろう。

                     

                     

                     

                        「先生のあり方」について書いてしまいましたが、これはただ、僕

                       に一番身近なプロが学校の先生だからで、仕事で映画に出させていた

                       だいている僕自身にも跳ね返ってくる言葉です。人から常に必要とさ

                       れるのは、とても難しい。毎日精一杯精進するしかない。

                     

                     

                     

                     参考になる意見だ。

                     また彼は、「国語便覧」を副教材にしているという。

                     

                       厚く重いから、ロッカーに眠らせている。

                       現代文から古典文、漢文までの資料、文法や

                      修辞等が説明してある。

                       また、万葉集から現代までの文学史もあるの

                      で、読書のための本選びの参考書にもなる。

                       大人のための教科書にしている人もあるとい

                      う。ほしいんだが、どこで売ってるかという質

                      問を聞いたことがある。高校生に、使い古しを

                              もらうのが一番いい。

                     

                     

                     教員も、互いに授業を参観し合ったり情報を交換したりして、指導法の工

                    夫改善に努めているのだが、鬼ごっこを繰り返している。

                     

                     

                     

                       

                    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                    見える壁と見えない壁
                    0

                       

                       考える習慣を維持するために、短めな(随筆風の)評論を読むことがある。

                       安部公房の「日常性の壁」を読んでいた。

                       「いた」と言うのには、その「壁」がどういうものか、簡潔に他に説明できるほどに理解していなかった。

                       

                       

                       そして、20日の第193回通常国会の首相施政方針演説で「壁」の文言に当たった。

                       おお、ここでか、と思った。草案起稿者か。

                       

                            

                       

                       それは、デフレの負の連鎖のことだった。

                       その「壁」に対して、自らの経済政策アピールポイント「3本の矢」を放ち続け、経済の好環境を進めていくとした。

                       

                       

                       一昨日、もう一つの「壁」を聞く。

                       トランプ大統領が、選挙戦で公約に掲げていたメキシコ国境での「壁」建設の実現に向けた大統領令に署名したニュースだ。

                       

                            

                       

                       メキシコ不法移民阻止のための “物理的” 「壁」・・・。

                       

                       

                       

                       安部公房は、「壁」に拘っている。

                       

                                                                                

                        「日常性の壁」では、蛇への嫌悪感の正体を、当然あ

                       るべきものの欠如から来る違和感だと説いている。

                        それを「日常性の欠如」と呼ぶ。壁は、日常性を一定

                       の範囲に画すと同時に、現在の日常性を越えていく根拠

                       ともなる存在のようだ。 

                       私たちは、視野を偏狭にしないために、時には日常の外の空気を吸うこと

                      が精神の健康のために必然なことだ、と言う。

                       

                       

                       

                      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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