さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
忖度再開
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     米軍普天間飛行場の辺野古への移設計画で、NHK番組で、

     

      安倍首相が、「土砂投入にあたって、あそこのサンゴは移している。」

      と発言したことに対し、

     

      沖縄県が、不正確だと反発している。

      玉城知事は、ツイッターで「現実はそうなっていない。」と指摘した。

     

                      

     移設計画にどう県民の理解を得て      

    い くか、との質問に「絶滅危惧種が

    砂浜に存在していたが、砂をさらっ

    て別の浜に移していくという環境の

    負担をなるべく抑える努力もしなが

    ら行っている。」とも言ったと。

           Yahoo! News

     

     

     

     

       首相の言う「あそこ」の具体的な場所は不明。沖縄防衛局が移植

      したのは、埋め立て予定海域ではあるが、昨年12月に土砂投入を始

      めた区域ではない場所にあった絶滅危惧種のオキナワハマサンゴだ

      としている。

     

       沖縄防衛局が移植対象としているのは、直径1mより大きいサン

      ゴと一部の小型サンゴで、この土砂投入区域には存在していない、

      という立場をとっている。

     

     

     ! この首相の一部事実と異なる発言をしたこともさることながら、「嘘の発言を正すことも批判することもなく、そのまま報道したNHKの報道機関としての在り方が厳しく問われている。

     

     

     沖縄県民はじめ多くの反対を無視して安倍政権が強行した土砂投入の映像は延々と流すNHK、新基地建設を既成事実化したい安倍政権への忖度と受け取られる。。

     揚げ句の果てに、「沖縄県と政府の対立は、さらに激化は避けられない情勢」などと「中立」を装うコメントをするに至って、メディアの資格が問われざるを得ない。

     

     

         

     

     

     嘘の答弁の垂れ流し、文書改竄、自殺者を出した首相への「忖度」、その新たなラウンドがスタート、進んでいる。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    これ似てないか
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        I am innocent.

       

        I imitate a inoshishi.

       

       最近耳にした言葉(文)だ。

       どこか、似たように感じるのは、英語に慣れていないせいか。

       

                                  

       「私は、無実です。」と言ったのは、あのゴーン

      容疑者だ。

       公開の法廷での意見陳述で、「捜査機関からの容

      疑はいわれのないものであることを明らかにしたい。」

      と述べ、こう無罪を主張したという。

       

       

       「私は猪を手本に政治運営をする。」安倍首相。

       正しくは、「本年はイノシシのようなスピード感と、しなやかさを兼ね備えながら、政権運営に当たっていきたい。」だ。

       

       

        伊勢神宮を参拝した後の記者会見で、今年の干支

       の亥を手本に政局を乗り切っていく意向を強調した

       言葉だ。

        勿論日本語だから似て聞こえる筈などない。

        ただ、亥にスピード感はあっても、しなやかさは

       持っていないだろうと思われるが ・・・。

       

       

       「政治運営をする」は、政府や自民党・与党を上手く丸める、ではないか。「政局を乗り切る」は、野党の追及を乗り越える、ではないだろうか。

       

       そういうときは、イノシシのようにスピード感を持ってきただろう。のらりくらりとしなやかにかわしてきただろう。

       

       

                  やっぱり、同じようには聞こえないかな。

       

       

       

       

      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      水分不足ではないのか
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         お屠蘇に、お節に、雑煮と、肝臓や胃腸が参っていたか、年明け早々に、大便秘を起こしてしまった。

         「出そうで出ない」から、夜をまたいで20時間もかかって、やっと出た。

         

         

             

         

         

         直腸から出口あたりに、相当詰まっているようだ。

         むっつり感ときゅうくつ感で、重いんだか痛いんだか ・・・。

         慌ててヨーグルトを食べた。スムージーを飲んだ。蜜柑を食べた。清涼飲料水を飲んだ。味噌汁を飲んだ。しかし、すぐには効果がなく、苦しかった。もう二度とあんなのはいやだと思い出す。

         

         

         正月で食生活が変わっていたせいか、酒の飲み過ぎか。

         日頃から野菜や果物を食べるようにした来たつもりだったのに。

         

         

                    

         

         

         空気が乾燥していて、水分を摂る量が少なく、身体も水分不足になっていたのか。

         

         毎朝の測定では、55% 台(身体の水分量)で、標準をクリアしてきた。

         

           ただ、この日はゴルフで外で活動した。昼酒を少々呑んだ。

         

         

         昨夜の呑みすぎと、この昼のアルコールが原因ではないかと考えた。

         

         

              

         

         

         体内に取り込んだアルコールを分解するために、身体が持っていた水分が使われ、放出した水分とで脱水症状になり、大便秘を起こしたのではないかだ。

         

         

         アルコール計算機〜分解時間と血中濃度 (二日酔い予防と対策) というアプリがある。

            二日酔いを防ぐために、翌日に影響しないアルコール量や、

           アルコールの分解時間、血中アルコール濃度、就寝前の必要

           水分量の簡易的な計算ができる。

         

         私の想像の答えにはなっていないが、多分これだったと思う。

         5%に割った焼酎を250ml×2杯呑んだら、水を500mlは飲んでおけとあった。

         

         それは突然やって来たようだが違うだろう。忘れず、呑もう。

         

         

         

         

        Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        大晦日の脳
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           一年の締めくくりは、大掃除だろうか。

           昨日、今日になったら無理だ。

           いい加減に済ませることになる。

           

           ちょっとだけやり残したことがあるのを思い起こして、それを中途半端に外に出る。

           ここまで来ても気になるのは、遊びののそれ。

           この間気付いた「坂道ダッシュ」をへばらない程度に近くの荒れ地で。そして庭の木の間で、300球打つ。

           

           

                来年に向けて

           

           

           思いついたときにやっておく。

           

           身体は脳が支配しているから、脳が「これをしよう。」と言い出したときには、それをやって脳のいい発想を促し、脳と身体の関係を円滑にしておく必要がある。(ストレスなく身体が脳から出た命令は遂行できるようにしたいのだ。)

           

           

             いいパフォーマンスを記憶した脳の、再現せよという命令は、

            電気信号として筋肉まで伝わっていく。

           

                  

           


             電気信号は脳内では「神経細胞」を通じて、次に首や背骨周辺の

            「中枢神経系」を経て、最終的に手足などの「末梢神経系」から

            筋肉に信号が伝わる。電気信号が伝わっていくと、脳内に「神経

            細胞のルート」ができていく、という。
           

           思いついたときが、験しどきだ。 

           神経細胞は脳内に無数にあるからルートも無数にある。いいパフォーマンスが続いたとき、脳はそのときのルートを記憶するのだ。
           

           

           残った掃除は,暗くなってからやることになる。細かいところを見落として丁度いいだろう。

           

           

           

           

          Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          70歳まで働かせるのか
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             新聞(毎日)に、こんな見出しを見た。

             

               70歳まで就業 年金33万円 繰り下げ受給で初試算

             

               社会保障審議会年金部会(2日厚労省)が、高齢者の就労の多様化と、

              それに合わせた年金制度の在り方について議論し、60歳以降も働き続け

              た場合に受給できる厚生年金額を、複数のケースを用いて初めて提示。

             

               70歳で退職して年金をもらい始めた場合、月約33万円(夫婦世帯)と試

              算した。現在の年金制度の基本となっている60歳退職、65歳受給開始で

              は約22万円で、約1.5倍の額。

             

             

                 

             

             

               政府は現在65歳までとなっている継続雇用の義務付けを70歳まで引き

              上げる方向で、未来投資会議で本格的な検討を始めている。高齢者にで

              きるだけ長く働いて、支え手になってもらう狙いで、公的年金の受給開

              始可能期間も現在の60〜70歳ではなく、70歳超も選択できるよう検討を

              進めているそうだ。

             

             

             貰う額が1.5倍になるかもしれないという試算            

            を示されたら、70歳まで働いてみるか、と考える

            も増えるだろう。

             私なんて62歳から受け取っている。

             非常勤の仕事はしているのだが。

             

             

             現在日本では、65歳以上を「高齢者」と定義し、超高齢社会を迎えている。

             2017年1月5日日本老年学会は、高齢者の定義を「65歳以上」から、「75歳

            以上」に引き上げ、それより若い人たちは就労やボランティアなどの社会参加

            を促すべき」という提言を発表した。

             

             

               支給開始年齢を70歳に引き上げれば年金財政に

              心配がなさそうだが、65〜69歳男性の労働力率を

              (働く割合)66.7%に設定していて、3人に2人が

              70歳まで働かないと現水準を維持できず年金額を

              減らすしかない試算らしい。

             

             

             日本人男性の健康寿命は、72.14 歳でもある。

             

             

             

             

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            プラスチックごみの削減
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               消費税を10%にするとの表明を受けて、国民は対応やささやかな抵抗を始めている。

               

               こういうとき、自民党の二階幹事長が、党本部の会議や食堂でプラスチック製ストローを使わないと発表した。

               「プラスチックのゴミによる海洋汚染は極めて深刻だ。国際的にも取り組みが急がれている。政府や企業にも協力を頂けるよう働きかけていきたい。」と語った。

               

               

                 ストローを含む使い捨てプラスチックは海洋汚染に

                つながるとして規制の動きが出ている。

               

               

                   

               

               

               翌日小池都知事は、世界的に問題になっている廃プラスチック問題に東京都としても対応するため、プラスチックごみ削減を進める「条例による対策の推進も視野に、都として進めるべき施策を検討する。」と述べた。

               都庁内にある店舗の協力で、紙製ストローの使用を検討、都職員に都庁内での買い物にレジ袋辞退の協力を求めている。

               

               国民の目は、「プラスチックごみ」に向いてしまったか。

               

               

               それ以前に、こんなのがある。

               

               原田環境相は就任3日後の4日の記者会見で、「レジ袋は有料化も義務づけるべきではないか。」と述べた。

               プラスチックごみを減らそうという取り組みが世界で広がるなかではあるが、大臣としてそれが第一に挙げるべきことなのか。

               

               

                   

               

               

                中川前環境相は今年7月の会見で、「中国が資源ごみの輸入を規制した」ことに関する質問(Y新聞N記者)に、「閣議決定を予定している第4次循環基本計画において、『プラスチック資源循環戦略』策定を盛り込んでおります。今回のプラスチックの資源循環が更に徹底されるよう、しっかり検討してまいりたいと考えております。」と回答の記録がある。

               

               

               「プラスチックごみ」 ・・・ それほどの問題と思われない。

               産経新聞10/13(土)の高瀬真由子記者の書いた記事が、それて答えてくれている。「海洋汚染 プラ製ストローは悪者か」(要約)

               

                   *   *   *   *   *   *   *

               

                プラ製ストロー「排除」の動きが拡大する。直径5ミリ以下のマイクロ

               プラスチックが、生態系に影響を与えていると叫ばれ、ストローがその象

               徴となった。ただ、プラ製ストロー廃止が、海洋汚染の解決に直結するわ

               けではない。プラスチックは飲料ボトルや食料容器など、あらゆるものに

               使われ、われわれの生活を豊かにしている。

               

                  2016年世界経済フォーラム年次総会報告によると、流出ごみのうちスト

               ローが占める割合は、0.1%以下との見方もある。

               

                  平成10年ごろの「環境ホルモン」、「青酸カリよりも毒性が強い」と危

               険視されたダイオキシンも、日常の生活で摂取する量では、影響が生じる

               ことはないと考えられている。環境問題では、まるで熱病にうなされるよ

               うに問題視されたことが、その後、嘘のように沈静化するケースがある。

               

                 プラ製ストローを紙に切り替える場合も、新たな環境負荷を生まないか、

               冷静にみる必要がある。紙の材料として、森林伐採が進む可能性もある。

               ストローは幼い子供や障害者にとって、水分摂取に必要な道具だ。現時点

               では、紙やバイオマス素材のストローは、コストや品質面で課題がある。


                 ストローを生け贄のようにしても、問題解決にはつながらない。環境保

               護の議論には、冷静な視点が欠かせない。

               

                   *   *   *   *   *   *   *

               

               私はまあ、持っている残り時間は長くはないから、CO2削減も、プラスチックごみを減らすことも、大した問題ではない。少子高齢化も、貧困格差も、介護も、そのうち何とかなるのだろう。

               

               

               

               

              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              最も悲しいはずの死
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                 私たちが人の死を悲しいものだと感じる最初は、肉親の死に直面した時ではないだろうか。

                 楽しいことも、時には何か辛いことに出合って励まされたことも、そして小さな諍いをしたこともあっただろう。思い出すその一つ一つが、彼らの血を受け継いだという事実以上のものとして、その悲しみを呼ぶのだろう。

                 

                 

                 そういう場面を綴った「はず」のエッセーを

                目にした。さくらももこ著『もものかんづめ』

                の「メルヘン爺」だ。

                 

                 

                     

                   祖父が死んだのは私が高二の時である。
                   祖父は全くろくでもないジジィであった。

                  ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリは

                  するし、母も私も姉も散々な目に遭った。
                   そんな祖父のXデーは、五月の爽やかな土曜の夜に突然訪れた。
                   夜中十二時頃、祖母が「ちょっと来とくんな、ジィさんが息してない

                  よ」と台所から呼んでいる。私と父と母はビックリして祖父の部屋に行っ

                  た。なるほど、祖父は息をしておらず、あんぐり口を開けたまま動かな

                  かった。あまりのバカ面に、私も父も母も、力が抜けたままなんとなく

                  笑った。
                   まもなく医者が来て、祖父の屍をひと目見るなり「これは大往生です

                  ね」と言った。死因は幸福の条件の中でも最も大切な要素のひとつであ

                  る”老衰”であった。

                 

                 

                     

                 

                 

                   夜中三時頃、続々と親戚が集まってきた。こんな大騒ぎにもかかわ

                  らず、姉は自室で熟睡している事を思い出したので、私は慌てて起こ

                  しに行った。
                   「ジィさんが死んだよ」と私が言ったとたん、姉はバッタのように

                  飛び起きた。「うそっ」と言いつつ、その目は期待と興奮で光輝いて

                  いた。私は姉の期待をますます高める効果を狙い、「いい? ジィさん

                  の死に顔は、それはそれは面白いよ。口をパカッと開けちゃってさ、

                  ムンクの叫びだよあれは。でもね、決して笑っちゃダメだよ、なんつっ

                  たって死んだんだからね、どんなに可笑しくても笑っちゃダメ」とし

                  つこく忠告した。
                   姉は恐る恐る祖父の部屋のドアを開け、祖父の顔をチラリと見るな

                  り転がるようにして台所の隅でうずくまり、コオロギのように笑い始

                  めた。死に損ないのゴキブリのような姉を台所に残し、私は祖父の部

                  屋へ観察に行った。誰も泣いている人はいない。ここまで惜しまれず

                  に死ねるというのも、なかなかどうしてできない事である。

                 

                 

                 

                  「ジィさんの顔、口を閉じてやらなきゃ、まずい

                 なァ」と誰かが言った。私は、そのままでも面白い

                 から問題ないと思ったのだが、そういうわけにもい

                 かないらしい。
                  「白いさらしの布で、ジィさんの頭からアゴにか

                 けて巻きたいのだが、布はあるか」と親類の男が尋

                 ねるので、母と祖母は必死で探したのだが見つから

                 なかった。深夜なので買いにも行けず、モタモタし

                 

                 

                   ているうちに死後硬直が始まってしまいそうだったので、やむをえ

                  ずありあわせの手ぬぐいで代用する事になった。
                   この手ぬぐい、町内の盆踊り大会で配られた物であり、豆しぼりに

                  『祭』と赤い字で印刷されていた。
                   ジィさんは、祭の豆しぼりでほっかむりされ、めでたいんだかめで

                  たくないんだか、さっぱりわからぬいでたちで、おとなしく安置され

                  ていた。祖母は、「ジィさんは、いつでも祭だよ」と力なく呟いた。

                  私が姉に「ジィさんのくちびるから、祭ばやしが聴こえるねェ」と言っ

                  たら、彼女はまた台所のゴキブリになってしまった。

                 


                   体をS字にくねらせて、頬に手を重ねるジジィの姿は、ちょうど夢

                  見るメルヘン少女のようであった。
                   ジィさんの戒名の称号は居士であった。死ぬと無条件に仏の弟子に

                  なれるというこの世のシステムには改めて驚かされる。もしジィさん

                  が本当に仏の弟子になってしまったら、インチキはするは酒は飲むわ

                  で一日で破門であろう。
                   それなのに”居士”だ。私が、「立派な戒名もらってヨカッタねえ」

                  と母に言うと、彼女は、「あたしゃ、生きているうちにいい目に逢え

                  りゃ、居士でもドジでもなんでもいいよ」と言いながら,葬式まんじゅ

                  うをパクパク食べ始めた。位牌が少し傾いたような気がした。

                 

                 

                 

                  こんなに長く引用することもないんだが、あんまり酷い書き方な

                   ので、誰かに、誰にでも見て欲しいと思って、そうしたのだ。(8月

                   31日弊欄でさくらももこさんのことを賞賛したが、舌が乾かないう

                   ちに取り消しをさせて貰わざるを得ない。)

                     祖父の死を、こんなに酷い書き方をするには耐えられない。多少

                   の虚構があるにしても、静かには読めない。

                 

                 

                  私に人の死、命の尊さを教えたのは、曾祖母の死・祖父母の死

                     であり、それよりずっと後の両親の死は、もっと辛かった。

                   これは私だけではなく、ほとんどの人がそうであると思っている。

                      小さい子どもを教える立場にあって、皮肉にも肉親の死が命の

                   大切さを理解する最大の機会であると思ってきた。今そうでなく

                   ても、そういう場に遭遇したら、その子(人)は必ず分かるだろう

                   と、無理に説明など要しないとしてきた。今もなお、そう確信し

                   ている。

                 

                 

                 

                 

                Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                環境危機時計
                0

                   

                   環境危機時計というのがある。この頃初めて見た。

                   旭硝子財団が発表した。ホームページにある。

                   

                   

                        

                   

                      地球環境の悪化に伴って回答者が人類存続に対して抱く危機感を

                     時計の針で表示する「環境危機時計」を独自に設定し、毎年危機感

                     の認識調査。各国の研究者ら約1800人対象。4〜6月に実施。
                   

                   昨年2017年から、14min. 進んでいると評価されている。悪化していると見られている。

                   9:47 まで進んだ。「極めて不安」の赤色だ。

                   

                   

                    

                   

                   

                   地域毎のデータもある。

                   回答者が重視した分野は、気候変動、生物多様性、水資源だったという。

                   

                   その中には、行政の担当者なども含まれるが、分針の進行を遅らせるような方策は見えてこない。

                   私たち一般の者たちは、その辺りを求めていかなければならない。

                   

                   

                   

                   

                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                  山栗は食べないだろう
                  0

                     

                     気温が20℃を切って、いよいよ走れる、11月に向けて走らなければならないころになった。

                     今朝の日の出が5時23分で、その少し前に走り出した。18℃だった。

                     

                     朝走るようになってから変わらない。ライトをつけた新聞配達のバイク、明けていく東の空、稲刈りが始まった田んぼ ・・・。

                     

                     

                     細い国道の歩道に落ちる「山栗」(野生の栗 親指先大ほど)を踏まないように飛び跳ねて避ける。

                     

                     

                         

                     

                     

                     山栗は、実の大きい栽培種よりも早く熟して落ちる。

                     だから、これがとても甘いと知らない人はほとんど食べない。

                     小さいし、始末が面倒だから、食べるなら昔の人だろう。

                     

                     

                               

                     

                     

                     まだ、落ち始めたばかりだ。

                     私は家に戻って昼近くになってから、拾いに行った。

                     

                     このまま煮て食べよう。自然の甘さを確かめよう。

                     栗御飯にだってできる。

                     

                     

                        この道を走るようになって、毎年見ていた光景だ。

                        今年は、今までになく重いほど拾うことが出来た。

                     

                     明日は、敬老の日だ。

                     

                     

                     

                     

                    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                    障害者雇用水増し栃木
                    0

                       

                       中央省庁の障害者雇用に水増しの疑いのある問題が拡大の様相を見せている。静岡県など地方自治体でも新たに発覚した。

                       私の栃木では、栃木県教育委員会で行われていた。読売新聞

                       

                       

                             

                       

                         記事の内容

                       

                         障害者の雇用割合(法定雇用率)の水増し問題で、栃木県教育委員会

                        精神疾患で休職した教員らについて、障害者手帳や指定医の診断書がな

                        い場合でも精神障害者として扱い、水増ししていたことがわかった。水

                        増しは数十人規模とみられる。障害者雇用促進法

                         県教委は、病状などから申請すれば障害者手帳を取得できると判断し

                        ていたという。栃木労働局は、2017年6月の障害者雇用率は2.36%で

                        水増し分を差し引くと、法定雇用率(2.5%)を下回るとしている。?
                         県教委は県立学校や市町の小中学校の教員、事務員を任用している。

                         県教委の障害者雇用率は、11年全国都道府県教委で最低の1.4% 。

                       

                       

                       

                             

                       

                       

                       県教委は教員を任用しているが、小中学校の教員の任免権は市町にある。

                       だから精神疾患で休職する教員の認定には、市町の教委が大きく関わっている。そして、申請は小中学校長で、精神疾患までに追い込んだ自らの指導力不足が問われることになる。

                       休職する教員を「精神障害者」にして傷病休暇を与えれば一石二鳥だ。

                       

                       

                       いじめがなくならない子どもたち、精神疾患者を出す学校は、それぞれに

                      起こり得る根深い要素を持っているだろうけれど、そういう管理職に問題が

                      ある。力量不足か、誠意や努力が足りない。

                       

                       

                        国レベルなら、あの「安倍首相への忖度」が、地方で行われているそれ

                       の帳尻が合わなくなっている一つだ。

                        もうそういう時代ではない、丁寧に「説明」するのではなく、疑念を抱

                       かれたことを明らかにし、心から「謝罪」して再出発した方がいいのでは

                       ないだろうか。

                       

                       

                       

                       

                      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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