さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
言葉の流行にも乗れない
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     地方紙が朝の一面で、コラム(soonの「雷鳴抄」8/12)が、

       60Wの電球100万個がLEDに換わると、年に23億円の電気代と4万tを

      超える二酸化炭素が削減できるという、

    と言っていた。本文は、こう始まる。

     

       長らく照明は白熱電球に限ると思い込んでいた。蛍光灯の無機質な光

      とは真逆の暖かみのある明かり。卓上の食べ物をおいしそうに照らし、

      家庭のだんらんをぬくもりで包み込む。難点は消費電力が極めて大きい

     

     

     LEDへの転換の効果はさておき、この34文字(46音)にある「真逆」という

    言葉に、中味をよく読もうという気が薄れてしまう。

     流行語を、こういうところで使っているからだ。

                           

       真逆:2002,3年ごろから使われ始め、04年度

          には流行語大賞にノミネートされた。も

          ともとは映画業界用語(照明技術・・・)。

     

     流行語に対する偏見かもしれない。

     濁音だから聞きにくいのか。

     

     

     同じ日「論説」では、閉会中審査(における安倍首相の姿勢を)について、「『謙虚、丁寧』真反対の対応」という見出しで書いている。

     

       内閣改造後の記者会見で安倍首相が国民の不信

      解消に向けて強調した「謙虚に、丁寧に」という

      言葉とは真反対の対応だった。・・・。

     

       その姿勢が、「・・・」とは反対だったという

      ことは、十分に伝わっている気がする。

     

     

     

     その数日前同紙は、柳田邦男の「日野原重明さんを悼む」という文章を掲載した。

     

          
           

     

     

     ここにも、気になるところがあった。

     少し前に亡くなられた日野原さんの生き様にも、柳田の考え方や文章にも関心があったからだ。

     

     柳田が1980年に聴いた日野原さんの講演を、30年以上経って再び文章(全く同じではない。)に出合ってから、癌問題を自らのライフワークとしたことを、「不思議な邂逅かいこう」と呼んでいる。

     

     ただ、一点。よく使われる敬語の使い方が気になって仕方がない。

     

       先生が,「死をどう生きたか」についての思いを書いておられたことだ。

     

     

     もう一つは、単なる印刷上の問題だろう。

     1行15字で4段構成だが、行頭に、々や・(中点)などは、見た目がよくない。

     NIE を推進するとしている同紙にあってはと、首を傾げる。

     

     地方紙だが(記事のリソースは中央紙に依っている。)よく読んでいる。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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