水中花冬
2017.12.03 Sunday
水中花というだろうか。シャコバサボテン。 水中花は夏の季語。
赤があまりにきれいだったものだから、盛りの花房を手許に置くことにした。その元だけを小さなグラスに入れていたのを、ちょっと大きめのものに移してみた。
この時季の赤は、どのように見ても魅せられる。
マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に、
紅茶に浸したマドレーヌの味によって、引き出された記憶の
奔流を水中花に喩える有名な文章がある。
プルーストは友人レイナルド・アーンのいとこのマリ・
ノードリンガーから水中花をプレゼントされたことがあり、
これがその比喩の着想のきっかけとなった。
# ちょうど日本人の玩具で、水を満たした瀬戸物の茶碗に
小さな紙きれを浸すと、それまで区別のつかなかったその
紙が、ちょっと水につけられただけでたちまち伸び広がり、
ねじれ、色がつき、それぞれ形が異なって、はっきり花や
家や人間だと分かるものになってゆくものがあるように、
今や家の庭にあるすべての花、スワン氏の庭園の花ヴィ
ヴォンヌ川の睡蓮、善良な村人たちとそのささやかな住居、
教会全コンブレーとその周辺、これらすべてががっしりと
形をなし、町も庭も、私の一杯のお茶から飛び出してきた
のだ。#
杯中花は、どうだろう。
グラスは、利き猪口に
水を日本酒に、替える。
山茶花の花びらを浮かべる。
香りや味も、目鼻舌で味わう
ことになる。桜酒と同じか。
杯中花は、酒を旨くする。
山茶花酒を冬の季語に加えてもいいだろう。