現在の幸福感を聞かれると、100満点で表した場合その大部分人が100満点で80点と答えたという。(あるビジネス専門学校生300人対象)
80点80% 50点12% 100点8%
注目するのは別の問いで、多数派
の「80点」が、まあまあ幸せだと感
じ、今の状態に強い不満を持ってい
ないことに対し、「100点」という
激しい幸福感の持ち主が、明確な不
満を持っているということが分かっ
たということだ。
「幸福」というのは「欲求の満たされた状態」だから、「幸福」のイメージは「満足」と重なっていて、これは矛盾しているようにも思われる。
かつての思想家たちに中には、
「幸福な日々の連続くらい耐えがたいものはない。」
と言った人もいる。
矛盾しているが、私たちの「実感」に奇妙に訴える
真実性を持っている。
そして、「幸福」というものの捉え難い本性に至る
ための一つのヒントがありそうだ。
先の「幸福」のイメージは、行為の後に来る、到達されるべき状態としての満足感であり、静的な幸福感だ。
これに対して彼らの中には、「幸福は活動である。」とそれよりは活動それ自体に伴う充実感であることを強調した人もあった。
パスカルは、「なぜ人は、獲物より狩りを好むのか。」と問いかけたことに注目される。ゲーテは、これを ― いわば〈生きがい〉を求める人間の精神であるとした。
「幸福」を周囲が作った尺度で測ることに眼を
つぶれるだろうか。自らの幸せを求める行動の先
にではなく、そのものの中に見いだせるだろうか。
心の奥にある「幸福」の種に、大きな緑を育てら
れるか。いわば、挑戦だ。
自らのイメージで一杯に膨らませた風船