さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
<< 学力差は意欲の差 | main | 私は走れない >>
見える壁と見えない壁
0

     

     考える習慣を維持するために、短めな(随筆風の)評論を読むことがある。

     安部公房の「日常性の壁」を読んでいた。

     「いた」と言うのには、その「壁」がどういうものか、簡潔に他に説明できるほどに理解していなかった。

     

     

     そして、20日の第193回通常国会の首相施政方針演説で「壁」の文言に当たった。

     おお、ここでか、と思った。草案起稿者か。

     

          

     

     それは、デフレの負の連鎖のことだった。

     その「壁」に対して、自らの経済政策アピールポイント「3本の矢」を放ち続け、経済の好環境を進めていくとした。

     

     

     一昨日、もう一つの「壁」を聞く。

     トランプ大統領が、選挙戦で公約に掲げていたメキシコ国境での「壁」建設の実現に向けた大統領令に署名したニュースだ。

     

          

     

     メキシコ不法移民阻止のための “物理的” 「壁」・・・。

     

     

     

     安部公房は、「壁」に拘っている。

     

                                                              

      「日常性の壁」では、蛇への嫌悪感の正体を、当然あ

     るべきものの欠如から来る違和感だと説いている。

      それを「日常性の欠如」と呼ぶ。壁は、日常性を一定

     の範囲に画すと同時に、現在の日常性を越えていく根拠

     ともなる存在のようだ。 

     私たちは、視野を偏狭にしないために、時には日常の外の空気を吸うこと

    が精神の健康のために必然なことだ、と言う。

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    コメント









    この記事のトラックバックURL
    http://mori-komut.jugem.jp/trackback/536
    TOP
    ブログランキング・にほんブログ村へ
    にほんブログ村