高校は、三年生が「特別学習期間」に入る。大学の一般入試だ。
今日この学校で、最後の授業になる。
「最後の授業」と文字を並べると、ドーデの『最後の授業』を思い起こすが、もちろんそれほどの緊迫感はない。
ただ私にとって、こんな好機は本当に最後だろうと、普通の高校生に対する期待と、自らの本音で1時間×3クラスの授業を全うしようと思った。
◇ 先週金曜日の第一段では、内田樹「ネット上の発言の劣化につい
て」を読ませた。資料に、米トランプ大統領の「大統領令」を巡る
日本の政治、米国内の反応・司法の対応の動き等を説明する文章を
扱った。
最初から彼らには理解できないと考えてそれらを呈示しないのは
益々彼らを無の世界に押し込んでしまうから。
◇ ドーデの『最後の授業』
仏領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は学校に遅刻す
るが、彼は予想に反してアメル先生に着席を促される。気がつくと
教室の後ろには正装の元村長はじめ村の老人たち。教室の皆に向か
い、先生は話し始める。
「私がここで、仏語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦
争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり独語し
か教えてはいけないことになりました。これが、私の仏語の、最後
の授業です」。「仏語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉で
す。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限
り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と。
生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げ
る教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に
「フランス万歳」と大きく書いて「最後の授業」を終える。
私が、その時生徒の前に立っているのは「古典文」を読んできたからだ。
そして、最後に彼らの持っている分厚い教科書「古典B」の伊勢物語を選
んだ。第9段「東下り」が最もポピュラーで、初冠(第1段)、芥川(第6段)
筒井筒(第23段)、梓弓(第24段)等を掲載して教科書が多い。
初冠(第1段)だ。
当然ながら、テーマは「平安時代の貴族の恋愛事情」になる。
現代、あるいは自分たちと比べられるだろう。
さらに、「狩衣(かりぎぬ)の裾(すそ)を切りて、歌を書きてやる。」の方法と
エネルギーについて、答えを求めない問いを投げる。
結論は、私老人の冷水であり、独りよがりの論で、自己満足であった。