さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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古きは忘れらる
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     17時で、勤務期限が完了した。

     取り立てて宣言するほどのことでもないが、自分を拘束する要素がなくなっているだろうことが嬉しい。

     

     33年間小中学校に勤務した後、県立高校の講師を3年間務めた。

     地方の小中学校は、過疎化・小規模化によって統合・廃校を繰り返し、「学力向上」よりも「現状維持・体力温存」を重視するような環境になっていた。

     

     普段あまり勉強をしてはいなかったが、大学で習得した古典文学の価値や、その上塗りとしての大学院での文学教育の方法の研究を、どこかで講義したいと考えていた。そして定年間もなくの3年前、高校講師の場を得た。

     

     

          

     

      

     いざ高校へ行ってみると、生徒はあまり勉強の態勢にいなかった。ばりばりの進学校ではなかったこともあろう。

     「国語にあって、古典B・源氏物語は簡単な英語より難しい。」という高校生の洗礼にあった。それは3年間続いた。

     

     自らの高校時代の思い出やマスコミ等が伝える情報からやる気も募ったが、期待が裏切られるのに長い時間は要さなかった。

     

     

      大学でも同じ。授業中の居眠りと私語が蔓延って文学

     部が縮小しているという嘆きにあった。左著書。

      「これに対して他校の教員が、『文学を学ぶ意欲のあ

     る学生を選び、良質の教員だけを集めて大学を作ったら

     どうか』との提言を受けざるを得ない」と言っている。
     

     学びたいものがある大学に入った学生でも同じなのだ。

     

       平成元年、社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成として、

      「生活科の新設」

     

       平成10〜11年 自ら学び自ら考える力(学び手の興味関心の重視)など

      の[生きる力]の育成として、「総合的な学習の時間」の新設

     

     これら指導要領が求める児童生徒像に向かって真面目に指導してきたことが、「面白いことだけを学ぶ」世代を育ててきた。私もその一人なのだが。

     

     

     しょんぼり  これからも、古いものは少しずつ削られていくだろう。児童生徒の

       興味関心は拡散するばかりで、将来に向かって実を結ぶような教育が

       行われにくい環境は進行してしまうだろう。

        PCにもスマホにも、英語を和訳してくれる無料のアプリがある。

       古典文には、そんな便利なものか見当たらない。探す学習者もない。

        意欲ある者を集めて「塾」をつくる以外ない。

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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