さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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思い出す旧烏山高
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     ここ烏山での仕事にも、ピリオドを打つことにした。

     40年余り前の3年間を過ごした母校だっことは、教えることで「終わった人」になるのにもいい機会だと思った。

     それほど楽しかったとは思えない当時の生活を思い出すのは、時が流れたせいなのか。

     

     多少手が加わりながらも、当時が残っている南校舎、体育館。

     創立者川俣英夫先生像と川俣記念館。


      
         

           2度目の改修にかかった川俣記念館に

           2月末多分今年最後の雪が降った。

                      

     一年前に入った校舎では、受け継いでいるものはほとんどなかった。

     人はなく、古ぼけた図書館ぐらいだった。

     

     何より私たちを鍛えてくれた旧烏山高の空気がなかった。

     (現校は07年女子校と統合した新校だと逃げ、改善を図らない。)

     

     

     私が在学した頃には、たくさん烏高OBがいた。

     3年に進級して受験シーズンまでの補習授業では、苦手な数僑造覆蘆訖抜きで夕方まで続いた。

     後輩への要求は、日頃から無情に高かった ・・・。

                            

                                                                                                                          

             時代に合わせてか、

         北校舎等の改修時に、

        昇降口付近も、

         モダンな姿に様変わり。                    

     

     

     

     その07年に統合した新烏山高校は、今年’17年に創立10周年を迎えるということで記念誌が編集されつつある。

     そして偶然にも、その原稿の校正の役をもらい、烏高が息づく文章に出会った。

     

        旧烏山高校の104年の歴史をもって ・・・この地方に教育を興し発展

       させた創立者川俣英夫先生 ・・・今後とも脈々と伝え継ぎたい。その胸

       像はまさしく当地方の教育文化遺産である。(旧烏高教員)

     

        「そんなことをしたら、切腹ものだ。」同窓会統合に向けた会議の

       中で、川俣像を移設してはとの意見に対する烏高同窓会役員の言葉で

       あった。

        烏高の同窓生の強い思いを感じた。在校時代の母校愛教育がしっか

       りなされた結果だと感心させられた。(旧烏女高同窓生)

     

       
       

          川俣英夫先生像             旧校訓碑

     

     

     文武両道の烏高の復活には、どうしたらよいかを物語っている。    

     当時、明治40年私立烏山学館の創立者川俣英夫先生に一礼して出勤してくる職員がいると聞いたことがあった。

     私の中に「至誠・不屈・礼儀・協同」の「川俣精神」を受け継いでいるが、それによって後輩を鍛えることができなかったと言えよう。私の中にはあるが、形にも中味にも、旧烏高は存在しない。

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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