さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
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西行の桜
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     桜の開花・満開には、西行の「ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」に、自然とその光景を思い描いてしまう。

     

     今年桜の満開の頃に月を眺めたのは、おぼろ月夜ではなく白くなった月だった。

     

     

         

     

     

     これは、ソメイヨシノと月を組み合わせた画像だ。

     

     和歌のいう如月(旧暦2月)の望月は、3月12日だった。

     今年一番早かった東京の桜の満開4月8日だったから、ちょっと無理だ。

     1ヶ月後の弥生の望月なら4月11日だったから、この桜と月(実は、月は十六夜だ。)を見られるだろう。

     

       西行が、如月の望月の頃に、満開の桜の下で、死にたいという

      願いは叶っただろうとする考え方もあるようだ。

       文治六年(1190年)2月16日は、新暦では 1190年3月30日と

      いう計算があるらしい。
     

     

        桜の咲く頃の満月の日を、西行の忌日にしたいという

           古の人の思いを感じる。

     

     しかも、当時は桜はまだ山桜だっただろう。

     

     

          満開の山桜

     

     

     如月の桜は難しい。

     私は、桜の満開に合わせて満月を見ようと、何日も前から待ったが、雲に邪魔されて一つの画面には入らず白い月だった。

     望月の「ころ」は、確かに時を表していた。

     

     弥生の望月過ぎに、満開の桜の下でささやかな幸せを感じている。

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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