さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
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庭の桃満開
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     庭の桃は今年も、早くも遅れもせずに満開になった。

     20日は母の命日で、15回目になる。

     満開の桃が、昨日のことのように思い出させる。

     

     

        

     

     母が亡くなったのは70歳だった。

     病気には勝てないが、もう少し、平均寿命ぐらいまでは元気でいてほしかったなあと思う。

     ふと丈夫だった頃が浮かんでくるたびに、そんな風に考えるのだ。

     

     

     母も、父も健在の時から、私は自分の思うように仕事をし、遊び、そしてあまり好まない方向に学んでいくのを見守ってくれた。

     親孝行というのには逆行していたと、今更ながらに思うのだ。

     

     今勤め人としての定年を過ぎて、仕事をしなくても何の不自由もなく過ごすことが出来るのは両親のお陰だ。

     その時その時、自分のことだけを考えて、好きな方を向いて、思うだけ行きつ戻りつしている。

     弟たち家族や縁のある人たちは心配しているだろうから、出来る限り迷惑を掛けないように暮らしていきたいと強く思っている。

     

     

     今年も、仏前に供えるのは手作りではないことに許しを請う。

      (近所の農家の人がつくったもの)

     

     よく作ってくれたかぼちゃの饅頭があったので供えます。 

       

        

            

     

     

     今頃だから、草餅です。日(ことび 季節の行事など)に作ってくれた稲荷寿司を。

     

     

               

     

     

     孝行をしたい時分に親はなし、とはよく言ったものだ。

     引き戻すことは出来ないし、止めるわけには往かない。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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