さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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小野小町春の雨
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     やっぱり、雨だ。8日。

     カーテンを開けると、飛び石が濡れていて確信せざるを得ない。

     しかも、気温が低いようだ。

     3月に入って上がり続けた気温は、震えるくらいにとどまるだろう。

     

     

     小さな梅園でも、さぞかし春になっているだろうと行ってみた。11:00

     那珂川を見渡すところなのに、冷たい。5℃

     

     

          紅梅も震えている

     

     

     春は名のみで、気温が上がっていないから冷たい雨。

     

     

     あの小野小町に春雨の歌があったなあ。

     

        春雨のさはにふるごと音もなく

            人に知られで濡るる袖かな

     

                   小野小町「玉葉集」巻九1268恋一   

     

     口語訳したら、

     
       春雨が沢に降るように音もなく
        人に知られることのないまま涙に濡れる私の袖よ
     まだ分かりにくい。
       (春雨が沢の水に降り注ぐ時には音がしないように、噂にも立たず、
        人に知られないで、一人恋の苦しさに袖を濡らすことだ。)
                                                   「和歌文学体系 万代和歌集上」
     絶世の美女で六歌仙の小野小町が、恋人に恵まれない寂しさを、歌に転化しているというのか。
     こう読むと、百人一首にもあるあの有名な
       花の色は うつりにけりな いたづらに
           わが身世にふる ながめせしまに
       (桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降って
        いる間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろ
        のことに思い悩んでいるうちに。)

                   小野小町「古今集」春113


    で、「我が身よにふるながめせしまに」(我が身も老いる。長雨を眺めている間に)と、なぜ長雨を読み込んでいるのかが分かる。

     

     小野小町の一生が、決して華やかなものではなかったと、悲しく壮絶で落魄の人生だったと、伝えられている所以だ。

     

     我が身に返る。

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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