さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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失った時間
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     テレビだったかラジオだったか、見たんだか聞いたんだったか・・・。

     この響きが私の中に残っていたものだから、目に留まった。

     すでに感じられなくなってしまった世代に向けた教科書にあるのだ。

     

     

        わたしが一番きれいだったとき     茨木のり子

     

      わたしが一番きれいだったとき
      街々はがらがらと崩れていって
      とんでもないところから
      青空なんかが見えたりした

      わたしが一番きれいだったとき
      まわりの人達が沢山死んだ
      工場で 海で 名もない島で
      わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

      わたしが一番きれいだったとき
      誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
      男たちは挙手の礼しか知らなくて
      きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
                         

      わたしが一番きれいだったとき

      わたしの頭はからっぽで  
      わたしの心はかたくなで
      手足ばかりが栗色に光った

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの国は戦争で負けた
      そんな馬鹿なことってあるものか
      ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

      わたしが一番きれいだったとき
      ラジオからはジャズが溢れた
      禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
      わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしはとてもふしあわせ
      わたしはとてもとんちんかん
      わたしはめっぽうさびしかった

      だから決めた できれば長生きすることに
      年とってから凄く美しい絵を描いた
      フランスのルオー爺さんのように ね


        ルオーのステンドグラス絵

     

     

     茨木のり子は、19歳で終戦を迎えている。

     戦時下の空襲の恐怖と飢餓体験に育まれたのだろう。

     私の中で、彼女の美しさが彩りを鮮やかにする。

     

     

     彼女の年譜を辿ってみる。

     1977年(51歳)、夫を失った2年後、代表作の一つ「自分の感受性くらい」を世に出した。

     そして、「倚(よ)りかからず 」は、73歳の作品だ。

     

     

     2006年彼女は急逝する。80歳。きっちりと生きることを心がけた彼女らしく遺書が用意されていた。

       「私の意志で葬儀はいたしません。・・・『あの人も逝ったか。』と

       一瞬、たったの一瞬思い出して下されば、それで十分でございます。」

     

     

     私は、すでに多くの時間を失ってきたが、まだ間に合うところがあるかもしれない。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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