さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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走る遺伝子
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     1992、96年バルセロナ、アトランタ五輪に出場した真木和さんが死去した。近年、乳がんを患い抗がん剤治療を続けていたという。49歳、まだ走っている女性選手もいる年齢だ。

     

     

      

      愛媛県今治北高からワコールに入社。駅伝など

     で鍛え、長距離選手として日本を代表する選手ま

     で成長した。1992年には1万メートルで日本記録

     をマークし、バルセロナ五輪1万mに出場。

      初の五輪では積極的な走りを見せながらも入賞

     を逃して12位に終わった。

      

     

     

     

     駅伝ではワコールのエースとして全国優勝に貢献した。髪の毛を短く刈り上げ、ボーイッシュでスタイリッシュな走っていた。(真木さんに憧れてワコールに入社したのが、04年アテネ五輪金の野口みずき。)決して後ろを振り向かず、積極果敢に攻める走りと形容された。

     

        96年アトランタ五輪に向けてマラソンに転向、3月の名古屋

       国際女子マラソンで、バルセロナ五輪金のワレンティナ・エゴ

       ロワ(ロ)を破って、初マラソン初優勝の快挙を達成する。

     

          そして、出場する前から痛めていた足は、五輪本番までの4

       カ月間で完治することはなく、痛みを抱えたままの出場。棄権

       を拒んだ真木さんは足の痛みからか、10km過ぎにトップ集団

       から脱落。それでも最後まで走りぬき、12位でゴール。

          ― 親交の深かった野口みずきには、真木さんの「走る姿勢」

         は受け継がれていたただろう。

     

     

     '18 プリンセス駅伝予選会で、岩谷産業の飯田玲選手が転倒して右すねを骨折し、膝から出血しながら中継までの200mを這ってタスキをつないだことが、世間を巻き込んで話題を呼んでいる。(監督は真木さんや野口を育てた廣瀬永和氏。)

     

     

          

     

     

     真木さんに、「走らせるべきだった」か、「止めるべきだった」かと尋ねたら、走り続けると答えただろう。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | らんにんぐ | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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