さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
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太宰の傑作蘇る
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     本を読まないと言われている高校生が、本を持っている。

     学校の図書館で借りて読んでいるのだという。

     

     

           『葉桜と魔笛』

     

     

     A5(一般的な文書のA4サイズのほぼ半分で正方形)くらいで、48ページだ。

     文章は、太宰の書いた原文だ。

     

        桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い

       出します。――と、その老夫人は物語る。――いまから三十五年前、

       父はその頃まだ存命中でございまして、私の一家、と言いましても、

       母はその七年まえ私が十三のときに、もう他界なされて、あとは父

       と私と妹と三人きりの家庭でございましたが、私十八、妹十六の

     

     挿絵と言っていいのか見開き一杯に、紗久楽さわ(詳細略)が、それを描

    いている。戦前の昭和(14年著)の人や暮らしの理解を助けている。

     

     

     私が『葉桜と魔笛はざくらとまてき』に出合ったのは、この生徒たちと同じ年頃であることがとても嬉しかった。

     要らない説明をしていたことだろう。感激には、全9作のシリーズ(乙女の本棚)で出版(立東舎)されていることもだ。

     どういう並びか分からないが、最初に太宰の『女生徒』がある。

     

     

                                                       

      芥川の『蜜柑』 梶井基次郎『檸檬』、

      朔太郎『猫町』 漱石『夢十夜』

      泉鏡花『外科室』 

      江戸川乱歩『押し絵と旅する男』 

      夢野久作『瓶詰地獄』

     

     

     

     

     『葉桜と魔笛』の終わりに、これらを集めた最果タヒ(さいはて たい 詳細不詳)という人の「テレポートする言葉」というエッセイが添えられている。

     

      言葉を読むあいだ、遠いものと近いもの

     がぐるぐると回転をしながら目の前を通り                 

     過ぎていくような感覚に溺れる。(略)下手               

     に自分も言葉を使うから、自分と全く違う

     言葉の使い方に圧倒されて戸惑った。何が

     分かったのか分からないけれど、この人の

     言葉のリズムから再生されたみたいに心臓

     の音が聞こえる感覚。あ、これは分かる、

     生きている人が書いた言葉だ、と納得する

     感覚があった、と。

     

     

     星の数ほどあるだろう小説、短篇の中から偶然に私が推したいものが選ばれていることが嬉しく、また何度も読み返してしまった。

     この歳になっても、『きりぎりす』も『女生徒』や『葉桜と魔笛』に負けないと思っている私だ。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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