さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
<< 西回りの寒気 | main | マスク風景の拡がり >>
梅原猛逝く
0

     

      通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼

    ばれ日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者

    の梅原猛さんが死去した。93歳だった。

     

     72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮める

    ために建てられたとする「隠された十字架―法隆

    寺論」、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死

    したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」

    を刊行した。

     

     

     梅原猛が「歴史学」の人だと思っていたから、著書などに触れるのが遅くなった。

     「九条の会」の「呼びかけ人」として名を連ねていると分かったのが初めだった。(大江健三郎と澤地久枝の外7人は、故人になってしまった。 井上ひさし 奥平康弘 小田実 加藤周一 鶴見俊介 三木睦子)

     

     

     私が最も強く「梅原猛」を意識したのは、『美と倫理の矛盾』に出合った時からだった。

     これは昭和52年の出版だが、読んだのはそのちょっと後、50年代の後半だったろう。

     

     

     

     タイトルに惹き付けられ、単純に「美」と「倫

     理」とは、互いに矛盾する立場にあると言うのか

     と思った。

      ただ、「美しいもの・事」は、「倫理」を越えて

     いるところにある。不道徳でいい。― そんなこと

     を薦める論なのかとだけ思っていたのだ。

       
     

     

        これを最も端的に言えば、「川端康成論」だった。

        少年時代から川端康成を読んでいた作者が、思索の道を選ぶことに

       なった川端文学のとの出会いと語る。

        川端の自殺の訳を、共感を込めて「仏界入り易く、魔界入り難し」

       をキーワードに、彼の作品の変遷・変容に追究した川端康成論だった。

     

     

     私がその頃読み始めた渡辺淳一が、川端を広く深く読んでいたというのが、これらを読むきっかけになっていた。

     埃だらけの本の中から『みずうみ』や『十六歳の日記』などを探すことになるだろう。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    コメント









    この記事のトラックバックURL
    http://mori-komut.jugem.jp/trackback/763
    TOP
    ブログランキング・にほんブログ村へ
    にほんブログ村