さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
初夏の戦場ヶ原
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      21日の戦場ヶ原の様子を映像で入手した。〈上空から見るとまさに緑のじゅうたん。その中にズミの白に花がポイントになっている。〉(下野紙)−−まだ遅くはないのか、こんなことをしてはいられないと思った私は、翌々日休みになるのを待った。
     その朝私は確かに戦場ヶ原にいた。先のバードアイの映像での情報により、まず赤沼茶屋から泉門池(いずみやどいけ)・湯滝への木道を歩くことにしたが、車を止めることが出来ず三本松まで行くことにした。赤沼茶屋の前のズミは、すで多くのカメラマンに囲まれていた。花は平地のソメイヨシノのようで、やや満開を過ぎ幾分白くはなっていたが、それら多くの人たちを魅了するには十分だった。 
                                                                                                                         


       私の以前からのズミの観賞ポイントは、光徳牧場入口付近と先の木道が湯川と付きつ離れつする辺りだ。私は三本松から光徳入口を通り戦場ヶ原を巡って赤沼茶屋に戻るコースを選んで歩き始めた。細い遊歩道は封鎖されていて、ズミを少し離れた場所からカメラに収めだけで、以前のようにズミの下を歩けなかった。男体をバックに枝いっぱいの花びらを確認するだけで、降りかかる花びらを全身で受け止めることも出来なかった。
     逆川橋付近もよかったが立ち入れなくなっていた。小田代橋に向かう林にもズミはあるが、シラカバ、ブナ、カラマツなどに負けてほっそりと幹に力がなかった。林を出ると郭公の声が男体にこだまして明るくなった。青木橋から赤沼茶屋に向かってのポイントはとうに満開を過ぎていた。そこらを行き交う人も増えて落ち着かなかった。ミヤマザクラも交じっていたが、あまり気づいてはいなかったろう。
    湿地の緑には、白いふわふわのワタスゲと、オレンジのレンゲツツジ、そしてアカヌマフウロやアヤメ
    がアクセントを付けていた。 
      ズミはごつごつした大木が広げた枝いっぱいに桜色の花びらを付けるが、帰りしな空に手を広げたような枝にやや白みを帯びた花を付けた若木か気になりつつ戦場ヶ原を離れた。ズミの大枝の下の緑がホサキシモツケのピンクに染められる来月の中頃、きっと訪れようと思った。
                       
      
      
                                    



     
     
     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    ふるさとを愛護する活動
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                                                                                                         地域の草刈り作業に参加した。例年「ごみ0の空き缶拾い」の後に行われてきた。町ぐるみ協議会・町河川愛護会の呼びかけで続いてきた。国道そして町道の路肩の雑草から川の中の葦まで、きれいに刈り払われた。
       県都などの市街地から自宅への帰途、道路の両側や歩道などに雑草が伸びている光景を見てきた。これらも人口の減少とともに過疎化を象徴しているように感じていた。(魯迅の「故郷」の一説と重なっていた。20年ぶりの帰省で、地主だった生家の没落を〈屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向かって顫えているのは、ちょうど老屋が主を更えなければならない原因を・・・〉と表現している。)
       こういう町ぐるみ・地域ぐるみの活動は、八溝の山村の美しい自然を保全していく上でおおきな役割を果たしている。町は合併と前後して循環型社会の確立を目指し、「環境基本計画」を策定した。そして今、「環境の町づくり推進会議」により、その実現に向けて活
      動している。当初から有効性が認められてきた「ごみの減量化」は実証され、様々な方法をとって継続されている。
       私は計画づくりの段階から参加した。「環境について考え行動する町」を目標に、「環境教育・環境学習の推進、住民・事業所の活動の支援、仕組みづくり」を考え、子ども会やスポーツクラブ、老人会と地域の人々が手を組んだ「アダプトプログラム」としての活動を呼びかけてきた。−−子どもの数が減少して少々無理が出てきているので、「高齢者」を巻き込んだものとしていけばよいか・・・。この隣近所の草刈りで、気持ちのよい汗をかくことが出来た。


                                              
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 11:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      この差別は何処へ繋がっているのか
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          これは「平成24年度人権教育指導者用リーフレット」の表紙だ。栃木県が社会人向の研修にと作成したものだ。「共に生きる社会をめざして−考えよう人権 育てよう人権意識−」として、国連・日本・栃木県の取組・社会における人権教育推進の取組・行事等を紹介している。
         元来日本人は真面目で優しいから、計画的に「自殺問題にまで発展してしまった小・中学校等におけるいじめ」や、「職場における不当労働行為・不当解雇・セクハラ・パワハラ」、日常の社会における「部落差別等」に対して、基本的人権の確認、人種差別・女性差別の撤廃、人権教育・人権啓発の推進、児童虐待の禁止、障害者の自立および社会参加の支援等により、人権尊重の社会の形成を目指してきた。その成果は確実に出ている。
         この国民的で建設的な努力を逆なでするようなテレビCMがある。ずっと私だけかと思っていたら、すでに2008年頃から話題になっているというので取り上げた。SBの「ホワイト家族24」だ。父親が犬、その妻が日本人女性、兄が黒人男性で、・・・。(好感度が高いと言われていたので呆れていた。)なぜ「犬」が一家の父親なのか。日本人を蔑視していないか。SBが〈韓国語では、ケッセキ(犬の子)は最大の侮辱。〉等の韓国のコンセプトを下地としてこのCMを作成したと認識している人も少なくないようだから、それに従いたい。私の儒教の国・韓国のイメージは、儚くも崩れ去った。
         「頑固親父」が減って、父親の復権が叫ばれている昨今、日本の父親には「だめ押し的」な行為だなどと笑ってはいられない。「日本の父親」の「日本」に関わる問題だ。この蔑視・差別は、何処へ繋がっているのだろうか。
         
         

        Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        待望のみねざくら
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            天空の桜満開と、かつて誰かが評した日の出平のみねざくらの盛り。いつか見に行きたいと思っていた。今年は遅れているという情報を得て、今からでも遅くはないと出かけた。もう盛りは過ぎていたが、待望のみねざくらだった。

                                                                    
                                                                           

             朝一番の美顔を一瞬の間でも独り占めするためには、早く出かけなければなかった。ところが、梅雨入りを宣言した前日の天気予報では、晴天が期待できないどころか、「ぐずつく」ということだったので、心ならずも出遅れてしまった。そしてデートの約束の場所に駆けつけるようにして、沼原に着いた。南月山から日の出平の方を仰ぐと、よく晴れていて私を歓迎してくれているようだった。
           7時を少し回ったところだったが、少し焦っていて白笹山を経由する登山道を選んでしまった。途中で振り返ると、おおきな石を越えたり木の根を迂回したりするアップダウンのきついコースだった。
          かつて峰の茶屋から三斗小屋を経て沼原に至る道は何度も歩いていたが、日の出平から沼原へ回ったことがなかった。
           白笹山から南月山に向かう辺りでは、みねざくらの散った花びらを踏むように進んだ。そして日の出平の手前でやっと、みねざくらを含む背の低い林に入った。さくらの木は、映像で見ていたよりも地面に向かって幹を太らせ、海抜1700mを超す厳しい自然の中で生き続けてきたことをうかがい知る。
           みねざくらの「さくらいろ」は例えるものがないくらいだ。うすべにを濃くしたはなびらがいい。見る者の気持ちまで優しくしてくれるかのようだ。やや俯き加減ながら枝いっぱいに広がり、その空間に明かりを灯しているようだ。私はこのみねざくらの姿を脳裏に焼き付けるようにして沼原への登山道を下った。−−平地では葉桜も過ぎ、緑は一層濃く、いろいろな花も咲き出すこの頃、こういう満開の桜に出会うと、私の心はまた桜に引き戻されてしまう。

                                          那須は好天で私を快く迎えてくれていた。
                沼原への途中で、「みやまざくら」にも出会う
                ことが出来た。
















          Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          ストレスを感じる言葉遣い
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              職場の机に舞い込んだ「エイズ教育推進ポスター作品募集」の案内パンフレットが目に入る。〈謹啓 時下ますますご清祥の段、お喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。・・・〉というように、形式的でありながら格式と丁重さを保とうとした挨拶文になっている。最近このようなことに出くわすことが少なくない。短い文章の中に、ありったけの敬語を使ったり、「お・ご」を付けまくったりする。
             中程にいくと、〈 ・・・また、そのきっかけとしてご利用していただければと存じます。〉とある。「と」の後に「よい」とか「幸いです」とか付けるべきではないだろうか。特に「書き言葉」として、この言い方を用いる場合は省略するべきではないだろう。書き手(話し手)の意思に頷くわけにはいかない。言葉は生きていて変わり続けているとも言われているが、見聞きするとストレスを感じてしまう。
             三笠宮寛仁様が6日午後3時35分に亡くなられた。その夕、マスコミは一斉にこの訃報を報じた。見出しを見ると、〈三笠宮家の寛仁さま逝去(毎)、三笠宮寛仁さまご逝去(N)、寛仁親王殿下ご逝去(産)〉とあった。一方翌日の朝刊の見出しには、〈三笠宮寛仁さまご逝去〜トップ記事・白抜き最大活字(読)〉。わが下野紙も右最上位に、(三笠宮寛仁さま逝去)と。−−この場合、「死亡するの尊敬語である逝去」に「ご(御)」を付けるべきなのだろうか。(最上敬語?)

                                                    

              あまり  ドクダミが濃くなった緑の中で白い点々をくっきり と目立た
                            せている。こんな光景に、「つゆ間近」かと。
             

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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