さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
大江健三郎の「根本的なモラル」
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      中間的な管理職として事業所における構成員の職業上の資質向上や勤労意欲の高揚の在り方等についての全国的な研修会に参加した。初日はシンポジウム。コーディネーターはじめ名前を聞いたことがある人ばかりだが、官僚の発言内容の理解しにくさは最高潮。第二日は分科会、各地様々だが真新しさは感じられず。

           最終日は講演。大江健三郎の『根本
        的なモラル』。文学 (小 説)におけ
        る〈文体〉について。生い立ち(知る
        と興味深い。)や読書生活から思考過
        程が成立していったこと。そして、国
        家の文化とも呼ぶべき子ども(いわば
        大江自身)の教養を仏文学から受け取
        ったことなど。ポール・ブァレリのナ
     
    チについての表現(理解・描写)やミラン・クンデラの表現方法もとても
    興味深かった。サンテグジュベリの「星の王子様」も、もう一度読んで
    みたいと思った。 
     話が終盤にさしかかって演題に触れた。「〈根本的なモラル〉とは、すべての中で根本にある倫理的なもので、いわばモラルエッセンシャルである。これこそが文学の目的であり、子どもたちが受けとめるべき、生きる社会環境である。それが今危うくなっている。子どもたちに受け継ぐべきものを、その危惧とともに私は持ち続け、言い続ける。」
     ああこれで合点がいった。16日、近頃では最も大きな「脱原発」デモ(「さよなら原発一千万人署名市民の会」主催)が行われ、大江健三郎、坂本龍一等が参加していたことだ。私には、5日に国会事故調や政府事故調が「福島原発の事故は人災」を明確に打ち出し、政府・東電・原子力保安院等の責任を指摘したのに、社会的に発言力のある人たちが参加すると、その結論が弱められてしまうのではないかと危惧を抱いていた。−−しかし講演を聴いて、将来を担う世代の子どもたちが受け継ぐべき社会環境を危うくしている「原発」を廃止すべく、運動に参加していると分かった。「九条の会」にも参加しているという余談もあり、私の誤解はすべて払拭された。−−原発依存については、私も考え続けていきたい。(文章中の不自然な語尾・文末は筆者の不理解からきている。)
     
     
     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    企業の4−6月期連結決算公表
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       bildung.png (この緑の後方に見えるビルは、企業Sには関係がない。)
       大手電機メーカーSが、2012年4−6月(第一四半期)連結決算で、1千億円規模の最終赤字になる見通しを発表した。通期決算の最終利益300億円という目標も下方修正する可能性が出てきた。12年3月期の通期決算では、過去最大の3760億円の最終赤字を計上しているという。そして、3000人規模の大規模な人員削減を検討しているともいう。(産経新聞)
       Sに限らず、生産や販売・開発部門等を分離・子会社化させたり、海外を中心に行ったりして、こういう状況を招かないよう経営してきたようだ。しかし、これまで大規模なリストラは行っていない。ここにきて、グループ内従業員約6万4千人のうちの約15%を、希望退職・自然減を含めて削減する見通しだ。  
       われわれ公務員にはない厳しさが感じられる。生産工場を閉鎖したり統合したりして、従業員が通勤不可能な工場に転勤していった人も身近にあった。早期退職者を募ったり年齢層の高い人たちからリストラを行った中小企業もあった。Sのような大企業がそれらを行うことによる社会的影響は、相当に大きいものだろう。
       その2日後、Sの「74億円の申告漏れ、所得隠し16億円」を国税局が指摘した。その額もさることながら、私たちは普通はそういうことはしないだろう。とても理解できないことだ。国税局が指摘し重加算税や追徴税が課されるが、この場合で約5200万円にとどまるという。過去の赤字分と相殺するのだそうだ。個人の所得税で、こういう処置はないのか。
       
       ところで、このSの社長の役員報酬は1億円超だ。N車のG社長に比べれば多くはないが、
      どこか狂っているような感じがしないでもない。
       私たちは、企業の「地域還元」としての環境保全活動、芸術文化活動・スポーツ支援活動、各種地域と共生を目指す活動の恩恵に浴していることもあるが、先の企業の考え方は相殺されることだろうか。
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      小学生の野球大会
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          つゆ明け目前、降らなければ真夏の太陽が照りつけるこの時期に、県北東部の那須郡と塩谷郡の市町代表16チームが優勝旗の獲得を競う小学生の野球大会がある。62回を数えた今年の大会も、各チームは力のあらん限りを発揮した僅差の試合や延長戦、エキストライニング制
        が適用されたれた熱戦が繰り広げら
        れた。泥と汗にまみれた選手たちに
        はもちろん、監督・コーチにも親たち
        にも応援する人たちにも、それぞれ
        にドラマがあり、カメラに収めた勇姿
        を思い起こしていることだろう。
         この少年野球大会は、小川小学校
        同窓会が主催してきた。一昨年には
        60回の記念大会が、出場32チーム
        で盛大に実施されている。私が出場
        した頃(第18回)は、小川小の木造
        校舎を背にした校庭で開かれ、3日
        間の大会だったように記憶している。
        施設や道具はどんどん新しくなっているが、大会を支えているものはずっと変わらずに生き続けていると言える。
         今回は裏方として参加した私にも、テントの奥の方から子どもたちや審判の動き、応援の人たちの様子を眺めているうちに、その頃の思い出が蘇ってきた。担任でコーチの船先生、監督の橋教頭先生、山奥の小さな学校の小人数の子どもたちをよく鍛えて、こんな大舞台に立たせてくださった。
         中学校に進んだ私は「野球が生活の99%」で過ごした。監督の山先生の教えは、今でも私の中に生き続けている。先生には技術的にも高い目標を設定され厳しい練習を強いられていたが、いつでも「我が子のように」大事に育てられたことばかり思い出される。先生は、私が高校に進学して野球から離れてしまったことを残念がるように、その後まもなく亡くなられた。
         そして大学に進んで、硬式のボールを卒業間際まで握った。多分身体的な成長は止まっていただろうが、自分の野球の「投げる」スタイルを貫くためにも、限界に挑戦していたのだろう。就職して地元のクラブチームに入り、35歳くらいまで投げた。年間30試合は投げていたから、もう肩はボロボロだった。(お世話になった監督兼任の)海先輩は「アマチュアにはオフも引退もない。」と言いながら私がチームから離れるのを許してくれた。
         さらに、小学生・中学生を指導する機会があった。振り返ってみると、私は初歩から少しずつ鍛えていく作業が苦手だった。ある程度出来上がった個性を組織する面白味を追求してしまっていた。審判員としても、その頃10年くらい務めた。9歳くらいで野球を始めてからプレー本意の我が儘を通して、
                                 いろいろな人々に様々な迷惑をかけてきた
           が、自分を育ててくれたものに対する礼
          の幾分かは果たせたろうかと思い込ん
          でいる。
            グランドで子どもたちの動きを見て
          も、テレビでプロ野球選手のプレーを
          見ても、山先生から体得した野球理
          論の下敷きを通して見ているような気
          がする。
                               

        Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        つゆ間の朱赤
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            茨城県鹿嶋市周辺の事業所や施設を見学した。業務関連でなく、どちらかと言えば観光、一般参観者向けの説明や見学コースによるものだった。
                                                                     
            S金は約1000万平方メートル、従業員数3000人。粗鋼の年産800万トン。所内をバスで回る見学には、いつも規模の大きさを体感する。東日本大震災では設備の一部を損傷して操業を一時停止したが、3週間から一ヶ月後には厚板工場・薄板第一工場とも再稼働し、5月末には全工場が通常操業となった。見学コースだった圧延工程が操業を停止していたのは、需要量が減少しているのか、まさかこの部門が海外に移転したのではないだろうかと届かぬ心配をしたりする。
           K王は約34万平方メートル、従業員数300人。日用品・化粧品・特定保健用食品などを生産している。、グループが生産する台所用洗剤のシェアは30%を超えているという。工場は鹿島港南航路の中程にあっても震災により津波や液状化から逃れられなかった。それでも一ヶ月程で完全操業を実現させている。その洗剤がスプーンから油汚れを分解する実験をさせてくれたが、こちらも製造工程を目近で見学させてもらえなかった。当日工程が休みなだけなの・・・。ECOのためにTVでのCFを自粛しているとか。どちらの事業所も、社会貢献として「環境保全・教育啓発活動の推進・芸術文化の推奨・コミュニティへの支援」等を行っている。
           港公園で休憩した。ベンチに座ったら目の高さやや上に、赤いかたまりがあった。真っ赤なポテトチップほどの大きさの肉厚の花びら。アメリカデイゴだった。この赤はきれいだった。全身が引きつけられる赤だった。
             


                   あまり  デイゴは「島唄」のデイゴだ。アメリカデイゴは、南米
                               の熱帯地方が原産で、メキシコではサラダや煮物で食べる
                               とか。ハワイや鹿児島市では街路樹にしているという。
                  鶏冠が語源で、沖縄の発音「デーグ」からきているらしい。











           

           
          Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          無残な敗退
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              所属ゴルフクラブの倶楽部選手権の予選に参加した。27ホールのストロークプレー、43・41・45の129で予選通過に2ストローク足りなかった。このクラブで参加するようになって15年ぐらいになる。ほとんどの年でマッチプレーの1回戦敗退ということが多く、予選で通過の16人に入れなかったのは大ショックだ。マッチプレーよりもストロークプレーの方が自分にとっては得意だという感じでいたが、予選の時点で次のプレーが拒否されたことは、残念というより情けない。雨上がりだが、プレーの速い2人との組合せで、何よりの条件だっただけに、この上ない失望感を味わう結果だった。   
               皐月No7  椿No3  桜No3
             皐月は、No3par5でバーディー狙いの3パットのボギーだけで我慢ししていた。No7par4-410ydsの2nd-180ydsを5Iでプッシュアウト、3rdが松の後ろでダブルボギーのホールアウト。
            これが流れを変えて上がり3ホールともD.B.の43。椿は、No1,No2で2m程のバーディーパットをショート。No3par4-443ydsの2nd-195ydsを5WでプッシュアウトがOBでダブルホギー。No5,No7もショートで41。桜は、No3par3-213ydsやや右からのフォローを5Iで左バンカー。朝までの雨でしまっているが最も低い所に止まっていてラッキーかも・・・。砂が少なくトップして先の縁に当たって戻り打った跡にイン。クラブを少し立て気味にしてtoeでえぐりとるように打ってやろう・・・。
            ボールは2ndと同じラインを繰り返し、また打った跡へ。えー。4thも同じ所へ。もう真っ白・・・。5th
            も同じ。6thでやっと縁から飛び上がっただけ。多分7thがピン下1m。これも入らず、9上がり。万事休す。No6,No7で連続バーディーも手遅れの45。
             スコアを提出して、もうゴルフはやりたくない・・・と思うほどの落胆。肉体的にも精神的にも痛めつけられた。こんなことの繰り返し。時間が経つと、そんな筈がない、もう一度がんばろうと思う。こんな繰り返しで悪いスコアから少し遠のくと、もう一度最初からやり直そうと考えるのを常とした。
             何年かぶりの腰痛に見舞われ、打球練習・ストレッチなども不足し、準備万端のスタートが切れなかった。そうだ。年齢的にも決して若くはないし、体力的にも優れている訳でもないが、練習を増やしていこう。(野球をやっていた頃、アマチュアにはオフも引退もないと言われて試合づくりを強いられた。やっぱりあれなのか。)1Wの飛距離が落ちているのも分かった。これらを認め、原点に戻って再スタートしよう。

             











            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ごるふ | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            嬬恋高原は遠く長かった
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                いよいよ11月の大田原に向けて走り出した。その最初の小さな山として嬬恋高原キャベツマラソン(ハーフ)に出場した。開催時期だけでエントリーしてしまって、嬬恋が群馬県の西の端にあり電車の便がよくないがわかったのは数日前だった。渋川から国道144・145号を進むと、さすが避暑やスキーのための観光地で「絵になる風景」が開けたが、栃木の東端から4時間の道のりは遠かった。

               


                                    
               

               予報より早い雨の振り出しで道路も会場周辺も混雑。駐車場からのシャトルバスが動かず、受付まで駆け足でもう10分前。出発に向けて並んだ人たちの間でゼッケンとランナーズチップ付け。10分遅れのスタートのアナウンスで脚の屈伸運動。少しずつ前へ。雨の中の2200人のスタートはいきなりの号砲。
               スタートの東海大嬬恋高原研修センターは海抜1370mで、バラギ湖に向かって3kmを
              約170m駆け下りる。下りで心理的には楽だが膝などには負担がかかり、後々苦しむだろうと思いながら集団が進むのに任せて走り始まった。腰の方が心配だったが、これなら何とか走れそうだと思えてきた。キャベツ畑の広がるパノラマライン北コースに緩やかな上りで入っていった。
               景色を見ながら走ったり自分のペースを作ったりするのによく左端を走る。もう水たまりができて避けたり水をはねたりした。中間の距離表示が栄養剤で「10km折返し地点」が目に入った。給水をとる余裕もない。(まだ5kmぐらいしか走っていない。時計も動いていない。腰の痛みはもう結構きている。まだ四分の一。完走できないかもしれない。)
               コースは過酷に高低差30mから50m位の上り下りを繰り返した。なんとか愛妻の丘を通過し、折返し前後の4kmで、高低差70mの大きな上り下りで完全に参った。脚はほとんど痛くないが、腰はもう我慢の限界に達していた。帽子のつばから落ちる水滴に無念さを感じながら、後半分と言い聞かせていた。「折返し」からの上りは、〈歩き〉も入り1km8,9分はかかっていただろう。悔しくて下を向いて走るようになっていた。
               

               残り3kmはスタートと逆で、高低差170mを上りっぱなし。もう歩いている状態でゴールした。浅間山登山、しろいし蔵王、富士吉田なども走ったが、嬬恋が最も、体も心も痛めつけられたコースだった。長かった。(50歳代男子 233位/316人 記録 2時間31分59秒) 











               
               
               
               
              Posted by : 桜の好きなKOMUT | らんにんぐ | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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