大江健三郎の「根本的なモラル」
2012.07.31 Tuesday
中間的な管理職として事業所における構成員の職業上の資質向上や勤労意欲の高揚の在り方等についての全国的な研修会に参加した。初日はシンポジウム。コーディネーターはじめ名前を聞いたことがある人ばかりだが、官僚の発言内容の理解しにくさは最高潮。第二日は分科会、各地様々だが真新しさは感じられず。
最終日は講演。大江健三郎の『根本
的なモラル』。文学 (小 説)におけ
る〈文体〉について。生い立ち(知る
と興味深い。)や読書生活から思考過
程が成立していったこと。そして、国
家の文化とも呼ぶべき子ども(いわば
大江自身)の教養を仏文学から受け取
ったことなど。ポール・ブァレリのナ
チについての表現(理解・描写)やミラン・クンデラの表現方法もとても
興味深かった。サンテグジュベリの「星の王子様」も、もう一度読んで
みたいと思った。
話が終盤にさしかかって演題に触れた。「〈根本的なモラル〉とは、すべての中で根本にある倫理的なもので、いわばモラルエッセンシャルである。これこそが文学の目的であり、子どもたちが受けとめるべき、生きる社会環境である。それが今危うくなっている。子どもたちに受け継ぐべきものを、その危惧とともに私は持ち続け、言い続ける。」
ああこれで合点がいった。16日、近頃では最も大きな「脱原発」デモ(「さよなら原発一千万人署名市民の会」主催)が行われ、大江健三郎、坂本龍一等が参加していたことだ。私には、5日に国会事故調や政府事故調が「福島原発の事故は人災」を明確に打ち出し、政府・東電・原子力保安院等の責任を指摘したのに、社会的に発言力のある人たちが参加すると、その結論が弱められてしまうのではないかと危惧を抱いていた。−−しかし講演を聴いて、将来を担う世代の子どもたちが受け継ぐべき社会環境を危うくしている「原発」を廃止すべく、運動に参加していると分かった。「九条の会」にも参加しているという余談もあり、私の誤解はすべて払拭された。−−原発依存については、私も考え続けていきたい。(文章中の不自然な語尾・文末は筆者の不理解からきている。)
最終日は講演。大江健三郎の『根本
的なモラル』。文学 (小 説)におけ
る〈文体〉について。生い立ち(知る
と興味深い。)や読書生活から思考過
程が成立していったこと。そして、国
家の文化とも呼ぶべき子ども(いわば
大江自身)の教養を仏文学から受け取
ったことなど。ポール・ブァレリのナ
チについての表現(理解・描写)やミラン・クンデラの表現方法もとても
興味深かった。サンテグジュベリの「星の王子様」も、もう一度読んで
みたいと思った。
話が終盤にさしかかって演題に触れた。「〈根本的なモラル〉とは、すべての中で根本にある倫理的なもので、いわばモラルエッセンシャルである。これこそが文学の目的であり、子どもたちが受けとめるべき、生きる社会環境である。それが今危うくなっている。子どもたちに受け継ぐべきものを、その危惧とともに私は持ち続け、言い続ける。」
ああこれで合点がいった。16日、近頃では最も大きな「脱原発」デモ(「さよなら原発一千万人署名市民の会」主催)が行われ、大江健三郎、坂本龍一等が参加していたことだ。私には、5日に国会事故調や政府事故調が「福島原発の事故は人災」を明確に打ち出し、政府・東電・原子力保安院等の責任を指摘したのに、社会的に発言力のある人たちが参加すると、その結論が弱められてしまうのではないかと危惧を抱いていた。−−しかし講演を聴いて、将来を担う世代の子どもたちが受け継ぐべき社会環境を危うくしている「原発」を廃止すべく、運動に参加していると分かった。「九条の会」にも参加しているという余談もあり、私の誤解はすべて払拭された。−−原発依存については、私も考え続けていきたい。(文章中の不自然な語尾・文末は筆者の不理解からきている。)