さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
駆け込み退職そして撤回
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       1週間ほど前の22日、埼玉県で「今年
    度定年退職する公立学校教員110人が
    退職手当削減が始まる2月より前の退職
    を希望した。
       これに対し上田知事は、県費削減効果
    と周知期間を勘案して2月1日施行にした
    と説明し、「2カ月も残して辞めるのは無責
    任のそしりを受けてもやむを得ない」と批
    判した。
                                                                        火元の埼玉県庁
     〈聖職か、それとも自らの老後か−。〉     
    などと見出しを付けられた「駆け込み退職」                                     
    (もともとこんな言葉はなかったのでは・・・)は全国に波及した。
     そして、マスコミも「最も多忙な年度末に、個人的な金銭的事情による〈逃亡〉については〈あり得ない〉と非難の声が渦巻いている。」と同僚の反応まで加えて煽り立てた。

     問題の発端は、昨年11月成立した「改正公務員退職手当法」にある。国家公務員の退職手当減額に伴い、埼玉県も昨年12月に条例を改正し、2月1日から施行する。勤続35年以上の教員が3月末に退職した場合、手当は現行の2800万円前後から150万円ほどの減額になる。施行を4月1日にすると、県費(埼玉県)は39億円の削減になる試算だ。

     マスコミ各紙はそれぞれの立場を伝えた。「最後まで勤めるのが公務員の責務ではないか」と埼玉県庁幹部。「地方公務員の収入は思われているほど高くない。退職金が100万円以上減るのは老後のことを考えると厳しい。急な決定で、あの人たちだけとねたむ気持ちはない」と教育関係者。「目の前にいる子どもたちを放棄して教員が学期途中で辞めるとはゆゆしきことだ」と行政。
           テレビなども、この時とばかりに「いわゆる評論家」を
          引っ張り出して、「聖職者が」、「責任は」、「モラルは」と、
          当事者を追求するものが多かった。

     これらの言葉と「子どもたちのため」という美しい響きの言葉の合わせ技によって、反論できない人たちに刃を突きつけてはいないか。

     こういう中で、埼玉県では28日までに「退職」を「撤回」する人も出た。
                「最後まで職責を全うすることにした」とか。  

         25日文部科学省が各県教委などに通知を
     出したのを受けて、埼玉県教育局は28日、
     各市町村教委や県立学校に対し、「児童生徒
     の教育活動や学校の運営に混乱を生じないよ
     う求める通知を出したという。

      
     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    雪で満開の桜
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         県北地方は、未明から今冬3回目に量の多い、                    本格的な雪になった。〈今年の冬は寒く、水道の
      凍結などが心配で、ここ2,3日も天気や冷え込
      みが心配だった。気象情報の変化に敏感になり、
      予想の当たる確率も少し上がったような気もする。
      それが見事に外れ、雪となった。〉
       夜半にちらちら降り始めたので、明朝は少し早起きして、
      あれを見に行こうと思って寝た。5時半、一面真っ白。

       桜を見に行った。

       

       那珂川町の観音寺の枝垂れ桜(エドヒガン)だ。(推定樹齢250年、均整のとれた美しい姿は、県内の枝垂れ桜としては1級の巨木として紹介されている。「お花見ガイド」等)

       雪で満開になった桜も、またいいものだ。説明や実況報告はいらない。
       残念ながら、訪れる人は少ないようだ。
       この美しさを詠った和歌なども見当たらない。

       桜の寿命は開花から1週間程度だと言われている。その短さ、潔さゆえを魅力の一つとして人々を惹きつけてきた。この雪で満開の桜は、その以上に短く、あと2,3時間もすれば散ってしまうだろう。

       桜も冬の間は余り注目されずに、訪れる人も少ないだろう。そういう時、雪を花びらに樹一杯を満開としている姿は、絢爛とは言えないが、豪華さ・豪快さを感じないこともない。また、雪と寒さに耐える居ずまいは、春の満開に向けてエネルギーを蓄えているようで力強ささえ感じる。


        このような満開を楽しみに、春を待つ
       ことにしよう。


                           
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      島田恭子陶芸展
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          益子の陶芸家島田恭子の陶芸展が、23日〜29日まで、東京日本橋の高島屋6階美術画廊で開かれる。年が明けて、この時期に同じところでの陶芸展が14回目になるという。
         益子の窯元の多くが東日本大震災で被害を受けていたので、私の注目し続けている島田恭子が健在であることが分かってよかった。〈震災時は宇都宮の大谷石の蔵を改造したギャラリーで個展の準備をしていた。そして「桜」を描いた花器をたくさん壊された。その破片に日付を入れて会期中に訪れた人に配った。〉
         「梅文器」など、四季の花々の文様を描いた器が中心で、「陶板」の新作を含め80点余を展示するという。
                              
          手びねりによる現代的な造形の器(扁壺と
           評され、素焼き・本焼・上え焼と焼成してい
           くので、途中で割れてしまうこともあるらし
           い。)に月夜の桜やもえる紅葉などの文様を繊
           細優美に描いている作品が並ぶことだろう。
          今回は、「金彩でより鮮やかな雰囲気」に
           仕上げたという。好きな淋派の絵画を意識し
           た、京友禅の訪問着や帯などのデザインを
           手がけている経験が刺激になった、と話し
           ている。


          東京での4年間のOL生活を経て作陶を始めたのは1978年で、15年くらいで個展を開くようになっている。そして「桜文」の器を作るようになったのはいつ頃からか、プロフィールても明らかにしてくれない。97年源氏物語「千年の恋」で着物のデザインを出品して、あの桜のイメージを強くしたのは、平安朝のそれから来ているのかと思った。また昨年の秋になって、下野紙「日曜論壇」で故郷茨城桜川の桜を久しぶりに訪れたことを読んで、ここにも源があったのかと頷いた。

         私がいつ頃島田恭子の「桜文」の器に惹かれるようになったかも覚えていない。作品には桜以外の花や植物をモチーフにしたものもたくさんある。だが私には桜以外に興味はない。月の光に優しく照らし出された夜の桜は、淡く幻想的に浮かび上がる。闇に散る花びらに漂う静謐は、抽象的な世界をつくっている。
         私は中島千波の「般若院の枝垂れ桜」や「御車返しの桜」も好きだ。器と版画で、
        表現方法は異なるが、表現している界に重な                                  
        るところが見える。薄明るに枝を広げる桜か
        ら、思わず平安朝の女性が現れそうだ。
         だから、時々西行の詠った吉野山や宣長の
        読んだ山桜を連想させてくれる。
                                                                       
         今回発表される新作は「桜文陶板」で、2枚
        の陶板を屏風の形にしたものになっている。
        (高さ39cm×幅110cm)描かれている桜の
        あいはまだ見たいない。千波の「醍醐桜」は
        二曲屏風だ。これと同じように、淋派の広が
        り、流れを体感することになるだろう。

                                 
        Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        禁則処理
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            北アフリカのアルジェリアで日本人
           を含む多数の外国人が拘束された事件
           について、日本政府は状況の確認に全
           力を挙げている。
            情報が錯綜している中で、18日社
           員が被害にあったプラント建設大手日
           揮はガス田にい17人のうちの7人の
           無事を確認したと発表した。
            


           アルジェリア軍による軍事作戦後、残る人質の安否は不明のままで、軍
          あるいは政府による詳細の公式発表もないまま単独で軍事作戦が継続され
          ていて、関係国政府は不満を募らせている。

           菅官房長官は18日午前の記者会見で、アルジェリア軍の作戦について
          遺憾の意を表明した。そして、日米英等当事国大使が、アルジェリアの外
          相に対して早急な人質の安否確認を申し入れた。

           これに先立って同日午前2時前、第2回の対策会議の後にも記者会見が
          行われている。(参照:首相官邸ホームページ)
           ○ 情報が錯綜していて、現時点で邦人
            の安否について確たる情報はない。
           ○ 東亜訪問中の安倍総理からア政府に
            人命最優先の対応を申し入れたこと。
           ○ ア出張中の城内外務大臣政務官から
            軍の制圧行動即刻中止要請すること。
           ○ 鋭意正確な情報収集の継続。
           ○ 邦人の救出に全力を挙げること。



           この10分程度の発表の後、各メデイアからの質問があった。そのほと
          んどは、日本人の安否はどうなのか、確かな情報は入っていないのか。軍
          の制圧に際して犠牲者が出たか。英米や日揮からに情報はないのか。

           これに対して官房長官は、「 その点については、発言を控えさせていた
          だきます」を繰り返した。3件、4件の質問に、これを続けた。−−情報
          が錯綜しているのだから仕方ないし、言葉遣いに誤りはないが、すっきり
          しない言い方で ・・・。

           この1時間余後、NHKラジオ第一の3時のニュースは、この官房長官
          の会見内容を、私の記憶に留める程度の親切さを持って伝えてくれた。
           後半の、その語尾は「政府が鋭意情報収集に」力を尽くすと言うことに
          力点を置くものだった。

           マスコミが好ましい伝え方と正しい言葉遣い(敬語)をしていることに
          蒲団の中で私は満足していた。私の「言葉の使い方」の方が間違いだが、
          マスコミがあの「禁則処理」をやってくれたのだ、と言いたい。




           
                  
                
           
          Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          浩二監督万歳!
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               3月のワールドペースボールクラシック
            で日本代表を率いる山本浩二監督が、広島                      
            市の本川小学校で、同校の創立140周年
            記念講演を行ったという。(47ニュース)
             広島東洋カープでの初優勝を振り返りな
            がら「目標に向かって」というテーマの約
            40分間だったと伝えられている。

             浩二監督は、「何事も一生懸命やり、仲
            間と力を合わせることが大事だ。私は今W
            BC優勝に向かってがんばっている。」と
            話し、子どもたちの前で話すのは難しいと思わぬ苦戦も述べている。

             侍ジャパンの3連覇のために、多くの経験者が固辞する中で監督に就いたことは、まさに尊敬に値する態度であった。日本中の野球ファンが諸手を振って応援しているに違いない。

             その後、MLBに行っている選手の参加辞退があったり、国内の選手中にも不参加の意向を示す者もあったり、思わぬ窮地に陥っている。それでも、日本選手の活躍への期待も、WBC3連覇への関心も、一層高まっているだろう。

             監督は年明けに、侍精神を胸に、世界の頂へ導くと抱負を述べている。
             また、「服装や態度は、社会人として大事なこと」と唱え、スター選手が集まる日本代表は多くの少年少女の手本になるべきだから、礼節や身だしなみを重視することが大切だと繰り返している。−−プレーで、大いに目立つことを要望している。

             “茶髪禁止令”を出した形だが、この際「あの無精ひげ」スタイルも辞めてほしいものだ。(このスタイルをやり出したのは、あのMLBに行っている選手だ。ユンケルのコマーシャルに出ている人。それがグランドの外にまで、日本の街角にまで広がってしまった。)
             浩二監督の一喝。祈優勝。万歳!

             
            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            元気の出るプランに
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              〜栃木県重点戦略「新とちぎ元気プラン」〜
              〈栃木県では、東日本大震災からの復旧・復興
               を最優先の課題とし、本県観光地や農産物
               の風評被害対策をはじめ、原子力災害対策
               や県民生活の安定、経済・産業活力の回復、
               さらには災害に強い地域づくりに取り組む
               とともに、復興推進の基本ともなる「新
               とちぎ元気プラン」に掲げた重点戦略の着
               実な推進を図り、ブランの将来像「安心」
               「成長」「環境」をともにつくる「元気度
               日本一 栃木県」を目指します。〉(’12)
                ☆ 政策の基本:人づくり
                ★ 重点戦略1 暮らしを支える安心戦略
                             ★ 重点戦略2 明日を拓く成長戦略
                             ★ 重点戦略3 未来につなぐ環境戦略
                    

                          =このプランにより、元気が出るようにしたい=
               
               

               これに先立って、2009年に財政健全化の道筋を定めた「とちぎ未来開拓プログラム」を出し、12年までを集中改革期間として、具体的には〈県民ニーズへの対応 内部努力の徹底 歳入の確保 行政経費の削減〉に取り組んできた。

               その一環として、「職員費の5%削減」を10年度から続けてきた。そして、27日の県議会で知事は、約束だから当初の予定通り12年度で打ち切ると宣言したという。私たちの「減給」処分も、やっと解かれた状態になる訳だ。

               これを地元紙などのマスコミは報道しなかった。(除く:一部デジタル版)取り上げなかったのは、この「打ち切り宣言」ではなく、「12月の県議会の様子、質問・議事内容」だ。受け手・聞き手が注目していた事案があったからだ。−−それは、国家公務員の退職手当の減額を受けて、総務省から下りてくる地方公務員の退職手当の減額が決定するかどうかだった。

               「職員の退職手当に関する条例」は、その支給の割合の改定が可決されたようだ。「5%減」の「減給」(地方公務員法第29条による懲戒処分で第3位の重さ)状態から脱したと思ったら、今度は退職手当の減額か。定年まで間もない者には一大事であった。予定通りにはなったが ・・・。                                     

               成るか。
                いいひと 〈 誠実・勤勉で人柄が良く
                                     人間味の ある県民性・・・
                 いいこと  〈 住む人にとっても訪れる
                                      人にとってもうれし・・・
                 つぎつぎ 〈 いつも何かに挑戦し続け
                      る「前向きな姿勢や・・・
                “とちぎ”

                          




              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              闇を楽しむ
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                  厳しい寒さが続いている。時は確かに春に向かっているのか。

                  日の出がやっと最も遅い時刻の6時53分から早まろうとしている。〈宇都宮で最も遅いのがこの時刻で、1月2日から11日まで続いた後、2日に1分位ずつ早くなっていく。〉
                 日の入りは、最も早い時刻からすでに17分遅くなっている。〈宇都宮で最も早かった16時25分が11月29日から12月12日まで続いた後、同じように2日1分位ずつ遅くなってきて、「日が延びた」と言われるようになっているはずだ。〉

                 単に計算上では、昼の長さが9時間40分程度だから、夜を過ごしている時間の方が長いことになる。さらに、その半分位が睡眠時間に充てられるから、「暗い」時間を暮らすのは、一日の内の四分の一位になるだろう。

                 「暗い」といっても、全くの「闇」という時も、場所もないかもしれない。いろいろな照明器具に囲まれて、様々な明るさや暖かさを発するものを身近に置いている。外に出れば、街路灯、車、電光の看板が溢れ、暗さは感じられない。流行のイルミネーションも誇らしげに輝き続けている。

                 こんな季節だからこそ、「闇」を楽しみたい。「闇を楽しむ」などと言ったら、古の人たちには笑われるかもしれない。
                 ひととき明かりを消して、夜の沈黙に浸った。

                 なぜ。酒飲みの私らしく、酒の瓶も気に入り、空になったら「ランプシェ
                                             ード」のように楽しむことは出来ないかと考えていた
                                             からだ。瑠璃色で、周りが18面に形作られている。
                 
                 
                 

                      

                 底に近い部分で水平に切る。明かりのろうそくを立てる。

                 想像していたより、「瓶の瑠璃色」は反映されなかった。やはり、こんなろうそくの明かりは温かい。優しい。本を読むこともない。中島みゆきを聞くにしたって、音量は極小さく。

                 「闇」を楽しむ試みに満ち足りた。
                 廊下が寒さに軋む音を聞いた。                          


                Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                七草粥から
                0
                    5日は二十四節気の「小寒」で、寒の入りだった。いよいよ厳しい寒さが本格化する頃で、これから寒明けとなる立春頃までに、その冬の最低気温が出ることが多い。暦通り日本列島は、これまでの一番の寒さに見舞われた。

                   北海道では陸別で、3年ぶりの−30℃以下、59地点で−20℃以下まで下がったという。本州でも岩手県藪川と岐阜県六厩で−20.2℃、近くでは水戸で−6.5℃、甲府で−6.7℃、東京でも0.3℃まで下がった。

                     その「こよみ」だが、正月のうちに『なかがわの食ごよみ』を見る機会があって、今年はこれによって一年を過ごしてみようかと考えた。副題にあるように、「伝えたい年中行事と伝承料理」を記録して、残し伝えていこうとしたものか。1月には、元旦、山入り、七草がゆ、だるま市、鏡開き、鍬入り、小正月の餅つき、繭玉、小正月 ・・・と並んでいる。


                   

                   (作成したのは、那珂川町農村生活研究グループ協議会だ。協議会は、平成24年第6回栃木県元気な農業コンクールいきいき農村部門で、〈とちぎ元気賞〉を受賞している。)

                   「元旦」の行事の内容と〈お節料理・雑煮・芋串〉の後に、「七草がゆ」も紹介してある。今までにも「七草粥」を作っていたが、今年はこれからやろうと改めて思った。

                   「正月の六日に野に出て、七日七草(種)がゆに用いるための若菜を摘むことを若菜摘み」と言ってきた。七日に神前に供え、新年を寿ぐ神事として伝えられ、伊勢神宮をはじめ大阪生国魂神社、熊本藤崎八万宮、愛知津島神社では、七種祭りなどとして行われているらしい。民間でも神社でも七草粥の風習は急速に衰えつつある。(『生活ごよみ』講談社)

                   今までは、七種類の野菜が入ればよいと考えていた。この寒いときに、緑色の野菜を揃えることは、決して容易なことではない。芹などは栽培したものを手に入れることが出来るが、野にあるものを探すとなると、時間も労力も相当に費やすことになる。それで、人参などを七種(葉と根で二種)としていれると、彩りもきれいで楽しくなったものだ。

                   だから、『枕草子』にあるように、〈七日の日の若菜を、六日、人の持て来、さわぎとり散らかしなどする〉と、小寒の寒さを感じながら「若菜」を集めることになる。芹セリ、薺ナズナ、御形ゴギョウ、繁縷ハコベラ、仏の座ホトケノザ、菘スズナ、蘿蔔スズシロと、何とか揃えることが出来た。仏の座が、薄紅の花を付けるものでなく、コオニタビラコだとも確認し、御形や繁縷とともに、ほんの少しだけ入れることにした。
                                               
                          
                   
                                                                
                   いずれにしても、新しき年を寿ぐ行事として継承し
                  ていきたい。自らの胃などもリフレッシュしてくれる
                  ことだろう。身も心もすっきりとしてくれるだろう。
                  一年の無病息災を祈りたい。

                    とけそめし 七草粥の 薺かな  ホシノタツコ
                                                   
                                                   

                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                  穏やかな歳の始まり
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                     暮れの寒波に引き締められ、2013年は穏やかなうちに明けた。元旦の陽気のように、世の中も、自らの健康も仕事も、今年一年を通して弛まずゆっくりと進み続けるよう願うばかりだ。 
                     

                     

                     



                     餅をついたり掃除をしたり、正月の準備は今までと変わらずにやってきたが、初日の出を見に行こうなどと思ったのは何年ぶりだっただろうか。見に行こうと思えば、案外近いところに拝顔できるところがあることに気がつき、近づく幸運にそわそわして過ごした。

                     特別な場所ではなかったが、同じように考える人もいて、いよいよ日が昇ってくると皆そっと手を合わせ頭を垂れた。きっと心の中で何か念ずるものがあっただろう。いよいよ神妙な心持ちになり、元旦の初詣など何年も離れていたが、神に詣でずに帰えることが出来なくなつていた。
                     

                     鏡餅などを供えるのが遅くなってしまったが、自宅の神棚にどうぞ今年の正月に訪れてくださいと、供物や幣束などを整えた。父がずっとやっていたので、ことしはその6,70点位に出来ればよいかと考えていた。何とか正月となった。

                     賀状に、「頌春 新しき年のお幸せをお祈り申し上げます。」という言葉を使ってきた。まさに、そのような心持ちになった。
                     
                      そして桜の挿絵に小さな文字で、「天地を 袋に縫いて 幸ひを 入れて持たれば 願うことなし(古歌)」という言葉を添えていた。これは作者不詳の古歌だが、平安時代の宮中で、念頭の寿ぎ歌として唱和されていたと伝えられているものだ。〈天と地とを合わせて縫った袋に、幸せを入れて持っているから願うことはないのです。〉と言うような意味だから、年の初めに皆で挨拶のように言い合うのには、いい言葉だったろう。(『蜻蛉日記』に出てくる表現なのだが、別の意味で出されていると解することも出来る。)

                     振り返ると、月が男体山に近づこうとしていた。新年を寿ぐ雰囲気に、まだ高い空にありたいと思っているかのようであった。                        

                                                             

                                                            
                    Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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