さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
ふるさとはやさし
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     気温差13℃の中、30日ぶりにふるさとに戻った。
     いくら人間の身体がよくできていても、風邪などひかないようにとは考えていた。
     やはり冬は残っていた。2週間前の大雪の跡だ。

     


     ところが、前日の雨が6℃までしか気温を下げなかった。そして、日中は雲はありながらも、前線に南向きの風が吹く形で16℃まで上がった。私には、〈思いやり〉天気だ。

     昼ごろになると、福寿草が並んで、黄鮮やかな顔を陽に向けた。
     ふきのとうも、今日の暖かさに浮かれて、首を伸ばしている。

      

                                             

     
     これらの顔を見ながら、身体も縮こまらずに、のんびり過ごした。
     これで、身体が感じる気温差を修正出来ただろう。

     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    気温差13℃を体感
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       いよいよ春まだ浅い栃木に帰る日となってしまった。
       沖縄・那覇空港から茨城空港へは1日1便しか飛んでいないから、選択の余地なく13時30分発となった。
       今朝は、那覇とともに、栃木の天気が気になった。そして、冷たい雨の中へ帰るんだと、身支度を始めた。

       空港に着き、昼食に、今度こそ最後だろう「沖縄そば」を食べるころには、汗びっしょりだった。荷物は送ったはずなのに、かさばって重い。〈真冬〉から来たので、すべて厚手の冬物だったから逃げようがなかったが、茨城に着いたら〈これがいい〉だろうと諦めた。

       正午過ぎの那覇の天気は、雲が少し出ているものの19℃になっている。


        待ち時間に余裕があり、3F見学
       者デッキから離発着する航空機を見
       る。自衛隊とも共用で混雑。

        瀬長島がすぐそこに眺められると
       思っていたが、建物や照明灯に邪魔
       されてしまった。


       1時間40分で、神戸空港に着く。
       機内アナウンスでは、空港の天候を「小雨 12℃」と知らせていた。那覇からは、7℃下がった空気の中にいる。席に着いて直ぐセーターを脱いでいたから、少し寒さを感じた。そして、乗継ぎを待っているうちに着た。





       離陸すれば、さらに1時間5分で茨城空港に到着する。東向きは、飛行時間が短縮されて楽だ。
       乗継ぎの時点で「遅れ」が出ていたが、5時到着予定から20分遅れで、走路を示す照明灯も目立つようになっていた。


        予報通り、雨だ。気温は、9℃。
        那覇からは、10℃下がったこと
       になる。
        厚手のジャケットをディパックか
       ら出して着た。囲いのない通路で、
       少し震えるほどだ。




       ここから自宅まで約2時間。
       
       あと25分、栃木県との県境辺りから道路脇に、2週間前に降った雪が残っていた。

       寄り道をしながら、9時過ぎ自宅着。寒い。北側に雪が残っている。
       気温6℃、小雨だから、それ以上に下がらずに済んでいる。
       那覇出発から、マイナス13℃だ。早速、袢纏を着込んだ。


       
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      沖縄との別れの色・味・紋様
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             ( 沖縄で終日過ごす最後の日なった。 )

         夜は、一ヶ月のことを思い起こしながら、もずくの天ぷら・グルクンの唐揚げ・島豆腐で、オリオンのビールと久米仙を飲んだ。
         沖縄国際CCNo.9のマングースの愛らしい動きも、泡盛を飲みながら談笑した居酒屋での夜のことも、南部のさとうきび畑の中を歩いたことも鮮やかに蘇った。

         この間、木になっているカニステルを見た。そして、初めて食べた。〈カボチャのような味〉と聞いていたが、その通りだった。(沖縄での最後の珍味となった。e-chan a-chan 御馳走様でした。)

           


         沖縄にいる時間が短くなって、どうしても気になることがあって、また市場に行ってしまった。
         「読谷山花織」(「よみたん はなおり」と言っていたが、正確には「ゆたんざ はなうい」と呼ぶべきだ。)をよく見ずにいたことが分かったからだ。
         先日民芸店で、これと出会し、「八重山ミンサー」と見違えてしまって、その紋様と手触りが脳裏に残ってもいたのだ。
         ジンバナ(銭花)・オージバナ(扇花)・カジマヤーバナ(風車花)の3つの基本的な花柄により幾何学模様の「グーシ花織」になる。この紋様の浮き上がったような〈でこぼこ〉の手触りも気になっていたのだ。〈浮織り〉という技法と紹介されているが、次の出会いを楽しみにしたい。




         








                    
                  読谷山花織  八重山ミンサー  首里織


         最後のソーキそばを食べ、国際通りから市場を抜け、人通りの少ない路地を帰る。
         見上げる高さに、黄色のかたまり。黄色いっぱい。木いっぱいのイッぺー。













          「イッぺー、いっぺいちゅらさんやー」  

                  (イッペー、とてもきれいだねー ?)

          
          
         私の、わたしの周りのすべての人に、すべてのものに、幸せの黄色いハンカチであれ !





            
         
        Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        Last Round in Okinawa
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           沖縄での1ヶ月を締めくくるべくラウンドは、パームヒルズGRだった。

           豪華なクラブハウスにびっくり! 18ホールスルーのラウンドで、午前・午後スタートにより300人近くの人たちがプレーするという。満員の7割以上が観光客で身動きできない状態だ。

                                                                          
            

                        








           












           沖縄での最後ラウンドということで少し力が入っていたかもしれない。しかし、いい出だしだった。
           No.2も1Wよく、残り120ydsの上り、いつもならPWで、まあグリーンには乗るだろう感じた。ところが、ボールは、ピンを遥かに離れた左へ飛んでいく。体が回転せずに、上体だけが左に移動して、手であおっている。
           ドライバーはいいが、アイアンは短いだけに瞬間的に下半身が緊張して力が入る。ここ2,3日、疲労が溜まったか、両方の臀筋が歩いても痛みを感じていた。下半身が捻転を嫌がっている。
           残り距離が短いだけに、グリーンを外すショックは大きく、後々まで引きずることになる。
           ホンコンカポックが鮮やかに ・・・ 応援してくれているというのに。




                                                                     
            




           INの方がトリッキーで、ポイントに打たなければならない。初めてのコースだからそんなことが出来るはずがない。
           No.14は打ち下ろしのロングホール。ややフォロー。挽回するためにはバーディー狙い!左の木が近く見えるので右へ打ったら、入り組んでいるところに入りOB。そこまでの距離の推測が出来ていない。トリプルボギーでのホールアウトだ。
           これからもそうだが、眼鏡をかけてゴルフをすることになれなければならないか。

           このホールの、今は使わないティーグラウンドに「トーチカ」があった。語源はロシア語らしい。
           鉄筋入りのコンクリートで出来た縦横高さ3,4mの塊みたいなものだ。戦争時、兵士が機関銃などを持って入り、銃眼という穴から撃ったという。−さぞ、この南端にかけての地域では、激戦となっていたのだろうと思った。このゴルフ場でも、多分一番高いところにあって、海に向かって糸満の方の街並みを見渡すことが出来た。





                                                   


               








           沖縄でゴルフが出来てよかった。ふるさとていたら、凍ったグリーン向かって打つゴルフで面白みがなかった。
           臀筋痛はあるが、腰痛は改善しつつあるからうまく付き合っていことにしよう。


           
          Posted by : 桜の好きなKOMUT | ごるふ | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          読谷やちむん
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             「壺屋やちむん」という言葉に出会って、「壺屋やちむん通り」を歩き、「やちむんを」見て回った。また、土産店などに並ぶ沖縄の焼物を見るうちに、これで泡盛を飲む機会も増えていた。

             少し厚手で、形も釉薬も、地味な感じを受ける。それでも、泡盛向けにも、明るい色を組み合わせたり、マグカップ風にしたりして、新しさを加えているように思えた。

             この「壺屋やむちん」から「読谷やむちん」を見つけて、読谷村喜名を訪れた。
             静かに土地に、赤瓦屋根の登り窯が印象的だ。

                  


             「やちむん」は、釉薬をかけない荒地(あらやち↔上地じょうやち)で、ほとんど装飾されず泡盛や穀物の貯蔵用、飲料水などを溜めるかめや壺等の実用品として生産されてきたという。
             それでも、陶芸家たちの世代が替わるにつれて、形や釉薬などが変わってきたいるように見える。

             この読谷村の喜名にあった窯の「喜名焼」が、沖縄の陶器の最初とされている。
             「壺屋やちむん」の成り立ちからは、まだ「読谷やちむん」の経過が不明だったが、次のような説明で納得できた。(沖縄観光WEBサイト「おきなわ物語」による)

                  戦後まもなく復活した壺屋焼は、順調に売り上げを伸ばした。しかし、1970年代に入ると壺屋周辺の
                 人口が増え、薪窯による煙害が指摘されるようになり、陶芸家たちはガス窯への転換を余儀なくされた。
                 薪窯にこだわる一部の陶芸家は、壺屋から読谷村へと工房を移して、共同で登り窯を築き、現在も火を
                 絶やさず、薪を焚き続けている。

             そんな中で、珍しく思って「陶ぼたん」を求めて帰った。

                                                           
                


             アオスジアゲハが私の周りを飛んで、「また、来いよ。」と言っているようだった。



             
            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            阪神オープン戦2戦
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               22日は沖縄市のコザしんきんスタジアムで広島と。模様替えした球場に、ほぼ満員の15000人の観衆が詰めかけた。

               沖縄の人たちは幸運だ。5万人以上も入るドームへ何時間もかけて行って、選手が小さくしか見えないところで、ナイター野球の雰囲気を味わうのとは大違いだ。屋根などないところで、選手たちとそう離れていないスタンドから、プロのスピードを味わうことができる。

               試合は、広島が先制して、阪神が逆転したが、押さえられず自滅の形で引き分けた。
               阪神は岩田−秋山−岩本と予定通りの継投だったが、8安打しながら2点しか取れず、抑えが四球がらみの安打を許し、初戦を飾れなかった。

               オープン戦の初戦なので、まだ主力選手も出ていないし、マートンなども1打席のみで交代してしまった。若手や移籍組にはがんばりどころだ。
               阪神の選手たちは、みんな小さい。威圧感がない。見かけも大事だ。振る舞い、プレー、雰囲気で補ってもらいたい。

               




               











                 

                             







               今年の阪神は、昨年よりも戦力が低下していると思う。オープン戦ではあるが、それを露呈した形となった。
               まず、捕手で、もっとインサイドワークのしっかりした扇の要になるような選手を育てなければだめだ。次に、抑え投手。「守護神」と呼ばれるような投手をつくりたい。−今日のように、試合を壊してしまっては互いの信頼感を損ねてしまう。



               23日は、快晴の北谷球場での対中日戦。

               試合開始前の阪神のシートノック。締まった感じで声も出ている。SSに鳥谷が入っているせいか。
               10分程度で終了。捕手の清水がフライを捕球して、選手が一塁側のベンチに戻ろうとすると、スタンドから拍手が起こった。阪神ファンの応援は、最後まで球場に響いた。

               試合の中身は ・・・先発投手は(昨日の岩田続き、機会の多い)榎田、無難に試合を作ったが中継ぎの小島がよくなかった。(昨日の秋山はまあまあ)2点の余裕がありながら四球がらみで自滅した形だ。
               打線も湿りがちで、一発ドーンと出る選手もいないし、そんな雰囲気もない。本格的にペナントレースが始まったらどうするのだろうと、オープン戦の始まったばかりの時期に思ってしまう。


                





               









               もっと、見せるプレーをやってもらいたいものだ。
               派手なプレーではない。野球は、相手があって成り立つもので、自分の技術がいつでも出せるわけではないが、魅せるプレーをして、ファンを引き付け続けてほしい。







                
               

              Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              バスの旅もまた楽し
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                 ゆいレールが、鉄道のない沖縄の人たちを運ぶのに作られ、延長する計画があって、実際に動き出しているらしい。
                 また、その分バスの路線網が張り巡らされ、乗ってみると結構便利で楽しい。(〈歩き〉に来ている私が、歩かずに車で移動しているのだから楽なわけだ。)

                 最初は、宜野座の阪神キャンプにバスで行く方法はないかと考えていた。今年は「キャンプバス」が走っていないから。結果的には、高速バスを使っても2時間近くかかるのが分かった。もともとバスが苦手なので、やめることにした。

                 バスの路線図や運行時刻表がほしくて那覇バスターミナルに行ってみた。2日も続けて、詳しく説明させてしまったので、時刻表も含まれる冊子の「バス運行時刻表」(A6版 180頁)をくれた。琉球バスなど4社、100系統以上で、本島のほとんどを網羅しているから、時間を気にしなければバスで回れる。

                 一方バスで移動すると、必ず自分の足で歩かなければならいところが出てくる。自宅からバス停までは勿論、乗継ぎの区間もそうだし、バス停と目的地の間も、すぐ近いとは限らない。


                 南部の東側の海岸から中央部を回って那覇に戻ったことがある。
                 乗継ぎの間に、わざわざサトウキビ畑の中を歩いた。ざわわ ・・・だった。後で、本島とその他の地区で収穫の方法(切り倒し方等)に違いのあることが分かった。

                 車窓から見ていた景色を、手に取る位置から接することが出来るのは、バスのお陰だ。
                 赤いテイキンザクラの垣根や島ラッキョウの畑を見ることが出来た。スーパーや市場で見るカニステルやスターフルーツも、気になっているものを初めて見た。


                       



                                                                

                   
                    −− バスの運行における利用者への配慮を感じたが、長くなるので省くことにする。−−

                 かくして、阪神のキャンプ見学は、22日(コザ)・23日(北谷)のオープン戦観戦に変更された。

                 不慣れな土地でのバス利用は、どこへ連れて行かれしまうのか分からない不安と、車酔いしやすいことからの敬遠を超えて、見て回る楽しさが増している。


                 


                 
                Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                神の招きにあって
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                   私の世界遺産を回る旅は、連日の雨にも、まるで神にでも招かれるように、御嶽へと足を運ばせた。

                   御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽(せーふぁうたき=読めなかった。行き先を聞かれたら何と答えようかと困った。)は、琉球開闢(びゃく)伝説にも表れる琉球王国最高の聖地。−私の5つ目の世界遺産登録箇所。

                   御嶽の中には、6つのイビ(神域)があり、大庫理・寄満・三庫理(その他に、御門口・ウローカー・シキヨダユルとアマダユルの壺)の3つは、首里城内にある部屋と同じ名前を持っているので、首里城と斎場御嶽との深い関係を示していると言われている。


                   大庫理(ウフグーイ)は最初の拝所で、大広間や一番座という意味の祈りの場(ウナー)だ。


                             


                   寄満は「厨房」の意味で、〈豊穣の寄り満つる所〉と解釈されている。勾玉の飾りを首から提げた白装束の女性が供物を揃えて礼拝する場面が、パンフレットにあるが、この場面を描いたものだろう。均整の勾玉や中国青磁器・銭貨が出土していると言うから、それらが並べられたことだろう。


                        


                   三庫理は、二本の錘乳石と三角形の空間とその奥でできる拝所のことだ。


                          


                   最も奥に進むと、「久高島遥拝所」があり、間近に認めることが出来る。

                        


                   琉球王朝時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷き詰めたという。

                   その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り(オアラオリ)」だった。そして、琉球国王や聞得大君の聖地巡礼の行事を今に伝える「東御廻り(アガリウマーイ)」の参拝地として、多くの人々から崇拝し続けられている。


                   帰りに、こんな話を聞いた。「まもなく、男子禁制になる」と。
                   現在も、近くの女性たちが時々参って、祈りを捧げているという。どうも、「御嶽」が荒れてきている感じているらしい。

                   もともと、この信仰ににおける最高位は女性の「聞得大君」で、〈最も名高い神女〉とされた。琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つ存在であり、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管していたのだから、それらを残すためには仕方ないか。

                   久高島が民族的に貴重な島として注目されているらしい。なぜか。次回の訪問までの宿題としたい。



                    


                   サトウキビ畑を見て、玉泉洞を回って帰った。

                   
                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 17:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                  ミンサー織りの紋様
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                     まず、琉球紅型についての理解違いを確認したい。

                       最初に見たとき、こんな模様で
                          額に入っているものだから、刺繍
                          か織物で染め物、染色の技 術だ
                          ということが分からなかった。
                       もともと琉球王朝の保護の元に
                          中国の型紙の技法も導入されて、
                          曨型染め方で、型紙二枚または三
                          枚重ねて染める技法のことなのだ

                       地色も黄色地を最上としてきたらしく、黄色系のも
                          のが目立ち惹きつけられてしまったからかもしれない



                     一方、ミンサー織りで、こんなものを買った。花瓶敷きとか、何かそんなものになるだろう。



                     











                       八重山ミンサーで、ミンサー織りの一種。
                       沖縄県八重山諸島の竹富島発祥で、藍色の地に五つの■と四つの■で構成された絣(かすり)模様を特徴とする。主に帯に 
                      使用される。
                       ミンサーという言葉は、「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」からきたもの。





                      一見、この二つは、どこか似ているような気がするが、このミンサー織りの紋様には特別な意味があり、次のような説明がある。(ウィキペディアなど)

                        かつて通い婚の風習があった時代に、想いを込めて男性に対して贈ったのが、このミンサーだと言われている。
                       柄の特徴として、5つの■が「いつの」を表し、4つの■が「世」を意味する。短い横縞を連続させる「ヤシラミ
                       (ムカデの足)」柄は、「足しげく」にちなむ。

                           

                       「いつの世までも 足しげく私の元に 通ってください」

                       という意味があった。藍を何度も重ねて染めることから、「愛を重ねて」という意味も含まれると言われている。



                     確かな時期は分かっていないものの、八重山での木綿の栽培が始まったのは約400年前だと言われている。古来は八重山地方の習慣に、男性に求婚された女性が、その返事代わりに幅の狭い織物を織り、男性に贈ったことから綿で出来た幅の狭い織物、これが「綿狭」(みんさー)、「ミンサー」となったとも言われている。


                     時間的な疑問はあるものの、行き着くところはこの紋様で、いろいろな色や物に変わりながらも、古くからの意味まま人々の周り残されている。



                     
                    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                    4つの世界遺産を見る
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                       2日続けて朝、雨に見舞われたが、さすがに近くで過ごすのにも飽き、残り少なくなった日程を思って、首里城公園を訪れた。


                       県内の世界遺産9つのうちの3つと、4つ目の識名園を回る計画とした。

                       まず、琉球国王の居城であった首里城趾。「守禮之邦」の鶚゛架かる守礼門を眺める。勧会門から唐破風妻飾 からはふつまかざり・大龍柱(吽形 うんぎょう−阿形 あぎょう)・牡丹唐草・獅子と金龍の正殿に進む。平安京なら紫宸殿だ。

                       そして、国王が外出時に安全を祈願したという園比屋武奥御獄石門(そのひゃんうたきいしもん 琉球石灰岩の平唐破風門)の前を通る。

                                  





                       次は、1501年に築墓したと伝わる王家の墓、玉陵 たまうどぅん。

                           

                       識名園に向かう道に進んだ。首里金城町石畳。こんな時期なので花もなく、雨に濡れている。大アカギと首里金城村屋を見る。

                          


                       今日、4つ目の世界遺産登録箇所の識名園 しきなえん だ。

                       1799年に建築された琉球王家の別邸を復元したもの。庭園には、随所に日本・沖縄・中国の意匠が見られる。池を中心にした散策道がある。琉球府をより大きな国に見せることが出来ただろう。

                                                                            
                              

                       旅の最後に、5つめの世界遺産「斎場御嶽 せーふぁうたき」を見て返ろうと考えた。

                       そして、次回訪れるまでに、琉球王朝の歴史を少し学んでおこうと思った。





                       

                      Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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