さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
六大学野球観戦 その二
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      東京六大学野球春季リーグ戦は、第3週を迎え
     た。
      それぞれ2カードずつを終えるところで、中・終
     盤での戦い方・選手起用にそれぞれの大学らしさが
     現れ、 観戦する者には興味がそそられるところだ

     26日土曜日に先勝した早稲田(5−3)は、立教に敗れて(1−3)、第3戦に入った。
     明治は、土・日と慶応に先行されて追い付けずに敗戦の26日。翌27日には同点に持ち込んで、同じく月曜日の第3戦に入った。

     明治はここでも先取点を許し、小刻みに加点され、終盤高山の3ランなどで追い上げたが及ばなかった。

     この試合で、4点目、5点目を加えられた1死1・2塁の場面でマウンドに上がった星は、完璧な投球をした。(海老先輩の実況中継による。)回をまたいで7回までの5人を、2ゴロ・三振・3ゴロ・右飛・三振に抑え、味方の反撃を呼んだ。しっかりと昨日のリベンジを果たしたと言える。

     前日にはネット裏から投球を見ていた。3週間ぶりだったが、また力強さを増していた。ダイヤモンドの外にまで伝わる気迫がこもっているように思われた。これで、翌27日のナイスピッチングとなったのだろう。−−−勝ちを決める星の投球を楽しみに待とう!

      



     第3戦で明治に勝った慶応が、立教に辛勝した早稲田に並んだ。



      《 余 談 》
     日本のプロ野球がMLBから運営やルール面でも影響を受けて、改善や改正を行っている。投手の起用・継投については、どうだろう。長期間によるリーグ戦ならば「分業制」のような投手起用が中心となろうが、トーナメント戦や2勝先勝の勝ち点制では、やはり5回までは最少失点に抑えられる投手を先に出さないと勝てないだろう。

     神宮球場も学生で観戦した頃からは改修されて新しくなり、グランドでも昔の泥臭さみたいなものは消え、スマートな野球になりつつあるように感じてしまうのは、自分が歳を取ってしまったからだろうか。
     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    ゴルフ再開への選択
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       「腹腔鏡下手術」を受けた患者3人が術後間もなく死亡したニュースを聞いた。(2012年以降、千葉県がんセンターで、同一の医師による76歳女、57歳男、80歳男、それぞれがんで膵臓の一部摘出や胆管切除後、同日中、翌日、2週間後に死亡した。3件とも執刀したのは、消化器外科のベテラン医師だ。)詳細な経緯や原因は、調査中として発表されていない。

        関心はあるが知識のない私は、新しい手術法への
       期待と病院や医師への信頼が高かったろうと想像し
       たから驚き、がっかりした。
        患者なら低侵襲のメリットと高度な医療技術を認
       める口コミ等により、その病院を選ぶに違いない。


       私も同様に、内視鏡による手術を受けようかと考えている。

         
       腰部脊柱管狭窄症の「椎弓切除術」を受け                                      ようかと、様々な情報により、新しい技術を
      駆使(機器の操作も含む)できる医師を捜し当
      てている、つもりだ。
       神経を圧迫している黄色い椎弓の部分を切
      除して空間をつくる。内視鏡による手術が理
      想的だ。

       前屈みで歩行するようになり整形外科を受診したころに比べたら、現在は「痛みがない。」
      と言ってくらいだ。保存療法(ストレス解消も)と運動療法(腹横筋・脊椎起立筋等を鍛える)・ウォーキングの効果が出ていると思われる。
       この頃、日常生活で腰をいたわる方法として、「膝を曲げて横向きに」寝ることもある、ということを目にした。やった方がいいことと、やらない方がいいことを勘違いしていた。そうしたら、もっと腰の痛みを心配せずに生活することも出来るだろう。

       大腿上部から臀部にかけての痛みもほとんど出ない。
       それなのに、椎弓切除術を受けようかと考えるのは、〈腰痛〉を心配しないで、動きたい、ゴルフがしたいと考えているからだ。

         痛みが出た1年半前と同じように動きたい。
         やっと、何も気にしないでゴルフが出来るよう
        になったのだから、思う存分やりたい。

         そして、あと10年くらいは、スコアを気にす
        るゴルフをやりたい。そのために、どこにも痛み
        がない身体で、基礎体力を鍛えてから挑戦したい
               と考えるからだ。

       最先端の医療技術にもリスクがあることは伝えられている。思い通りの効果が出なかった、成功しなかったという評判は、切羽詰まった状況にないと、その選択を後押ししないだろう。

       
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ごるふ | 07:15 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      山桜とエドヒガン
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         まわりの雑木林は、すっかり新緑の季節となって、柔らかな萌葱色の糸で紋様を縫い表したようだ。

         その木々の新芽が刺繍を施した中に、山桜がピンクでぽっと、灯をともしているようだ。
         また、私たちの生活空間に近いところには、大木が残っている。

                   


         この頃、農作業の始まりを知らせるものもある。
         近隣の人たちに、「種蒔桜」と呼ばれているのも、その一種だ。これは、通勤途中に見られるものだが、きっとそうだろう。
         田んぼは穀雨で満たされ、田植えの準備を急かされているようだ。
         

                     「種蒔桜」で有名なのが福島市にある。
                                         
                              
                                            
                               慈徳寺の種蒔桜

         大田原市の「磯上の桜」(山桜)は、今週初めが見頃だったと聞いていた。
        那須塩原市の「寺子の桜」(エドヒガン)は、どうだろうと思いながら、
        矢板市の地蔵堂の桜を訪れた。
         すっかり葉桜になっていた。予告通り見付けやすく、何にも邪魔されずに
        記憶に留めることが出来た。少しがっかりして帰った。

           


         桜前線は、間もなく弘前に着くという。会津の五桜はエドヒガンだから、まだ間に合うだろう。

         
        Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        さくら遠近
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           ころは、桜ふぶき。

                             

           「落花の雪」という言葉もあり、樹下を歩くと顔に肩にしきりに降る。はからずも満開の下の賑わいを思い起こさせる。


           市井を離れると、山桜が盛りとなっている。

                                                                                            
               

           まわりに様々な花が咲き出すからか、あまり注目されないような気がする。
           しかし、吉野の桜は山桜だし、西行の桜も山桜だったらしい。染井吉野が広まるまでは、人々の花見の対象は山桜だったろう。古い建物の脇に、あるいは山あいに、大木の山桜が残っていたりする。


               しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花

          という和歌がある。
           本居宣長、六十一歳自画自賛像に添えられた賛にある歌だ。歌意は、画像でお前の姿形は分かったが、では心について尋ねたい、という質問があったことを想定した答えだ。

           〈 日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。〉

           一般論としての「大和心」を述べた歌ではなさそうだが、山桜の美しさとそれを愛でる日本人の心の系譜を認めることが出来る。

           山桜が朝日に照り映える姿に、「春の心」は、「のどけし」だ。                               

           白山桜
           

                                                  
          Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          軽い春・重い春
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                   阪神は、先週巨人に3タテし、広島との初戦に
              勝って6連勝とした。
                 阪神ファンの私にも、信じ難いほどの誤算だと
              言っていい。

               3回ゴメスの適時打で同点とした。
                5回、鳥谷の左中間適時二塁打で1点勝ち越し、

            さらに、新井良の3ランで5-1とした。この時点で、解説者が言っていた4点打線の悪名を返上した。


              さらに、好投していた藤浪にまで本塁打が出たり、上本に2点適時打が出たりした。 中継ぎ・抑えも余裕を持って投球出来て、ファンにとっては安心のうちに試合を終えた。

             これからのことは未知数だが、今の状況                                    
            にも、これからの予想にも、オフの補強に失敗
            した阪神に、こんなことを想像したファンはい
            なかっだろう。
             私は2月、沖縄でのキャンプも、オープン戦も
            見ていたので、点の取れない、大きいのが出な
            い、押さえがいない阪神は、連勝など出来ない
            と思っていた。
             うれしい誤算だ。どこまで、この状態を持ち続
            けることができるか。
             プロ野球を見るときの気持が、軽い春だ。


            一方同じ日に、私の中で事件が起きた。  1日に始まった仕事から2週間で、
            給与を貰った。30日までの1ヶ月分だ。
             明細の加算額(経過措置-公務員給与の削減と復興予算予算への振替措置)
            に、論外に大きい金額が記入されているとおり口座に振り込まれたと、事務
            方から説明があった。
             昨年3月までの職員番号が残っていて、それが使われたからだという。

             その額が、ちょうど退職した時の額で、3月から臨時の季節採用者だから、
            それだけに抑えられたことになる。そういうミスがなければ気にしなかった
            が分かると癪だ。
             派遣社員みたいで責任も小さいが、週5日なので仕事の量が少なくはない。

             国語科で書物に触れていられるから、脳トレやボケ防止のためにはいいだ
            ろう。軽く考えていた。
             明るい桜の画像(中島千波の版画・大島桜)を張り付けても、少し重い春だ。
                    
                          

              朝、仏前に御飯とお茶を供えるとき、父と母に報告した。
             父と母の遺影は、私に微笑みかけていた。

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            夕暮れのさくら
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               再び始めた仕事から帰途に着く。伸びた日も暮れて、1時間ほど経っている。

               浅い闇に、桜が白く、ぼーっと浮かんでいる。遠目に、女性の顔が見えたような気がした。朝見た、下野紙1面の、大写しの小保方さんだったろうか。あるいは、かつての知合いだったか。

               枝の下に立って見上げたら、花びらが顔にこぼれた。
               残念ながら、もう女性は見えなかった。
               目に映る、そのシーンを切り取ったら意外なものだった。




               これには、梶井基次郎の「死のさくら」(『桜の樹の下には』)や、坂口安吾の「桜の木の下に鬼が住む。」(『桜の森の満開の下』)、石川淳の「桜鬼は美しい修羅なのだ。」(『修羅』)は、なかった。
               それでも、夜のさくらには、一層私たちの心をひきつけ惑わせる妖美があるに違いない。


               少し離れたところに、枝垂れ桜がある。こちらは今が盛りで、薄闇に色鮮やかな花びらを付けた枝が、微かに揺れている。
               こちらは、妖女がいまにも現れそうだ。




               先の梶井たちの桜観は、渡辺淳一に受け継がれた、と私は思っている。
               梶井の桜が染井吉野だとした渡辺淳一の、清純と妖美とする桜観は、あの桜鬼を見ていたに違いない。(『桜の樹の下で』など)

                                                                                                                                                                                         昼の明るい桜のほうが、現代人には好まれるだろう。
                                                                                                                                          
                   あはれ花びらながれ 
                             おみなごに花びらながれ
                    おみなごしめやかに 語らいあゆみ
                   うららかに足音空にながれ
                   おりふし瞳をあげて
                   翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
                             略    (三好達治 「いしのうへ」)

               
              Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              桜の真岡鐵道
              0

                 週末に1往復、蒸気機関車が走ることは知っていた。桜と菜の花との三重奏に期待し続け、仕事などの生活のサイクルと合わずに訪れる機会を逸していた。
                 今年は、思いも寄らぬ「雪」。私の住む県東端は、夜半から雪になっていたのだ。
                 旧文谷小跡の枝垂れ桜を経由して、コットンウェイを北真岡駅目指す。

                   

                 予想以上に多い人、車にびっくり。
                 桜は満開で、やや白くなっている。菜の花も盛りだ。気温10℃で、肌を刺す北西の風が花の寿命を延ばしているようだ。

                           

                 「真岡線 SLの旅」などで案内されているこの風景は、北真岡駅と西田井駅の間だ。SLや気動車に乗って桜を見るか、ファインダー越しに見るか。線路北側の田んぼ道は人と車で一杯で、菜の花とのコントラストを独り占めできる瞬間はない。

                 アマチュアカメラマンにも、いい風景に出合う。 初めてなのでよく分からないうちに、気動車の行き来に目を奪われてしまっていた。桜のトンネルは、踏切で振り返ったシーンだ。

                          
                 

                 来た! 来た!! 「SLもおかC1266」。昭和8年11月生まれ。汽笛を鳴らしながら、黒光りする約50tの身を見せびらかすように、ゆっくりと桜と菜の花と人の間を走り抜ける。私たちの中に、重厚な走りの印象を残しながら ・・・。

                       


                 次の週末には、桜吹雪も終わってしまうだろうか。この再会を1年、温めておこう。

                 

                 
                Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                再び仕事に
                0

                   私に再び職を与えてくれた先から、満開の辛夷越しに鳥居が見える。ああ、ここには、どんなにか優しい神が御座すことか。




                   仕事を辞める原因をつくった腰痛は、通院と運動でいくらかずつ快方に向かっている気がしていた。主治医に言わせると、全くの気のせいで、「痛みを感じない時と感じる時とを繰り返す。根本的には治っていない。」だが。

                   それで、少し仕事をしてもいいという気持ちになっていたが、なかなか行き当たらなかった。時間的な余裕が出来て生活すると、やはり一般的な定年の年齢までは仕事をすべきだろう、とも思うようになっていた。

                   年度も押し詰まったころ、仕事をしてみないかという話が舞い込んで、直ぐに乗ってしまった。それまでに数カ所に、研究業績等も含めて願いを出して「も」いたから、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」だ。
                   仕事の内容は、私自身の意にあったもののように感じるが、その思しには応えなければならない。

                   昼に食事をするところも付けてくれている。  
                  広く、明るいとは言い難いが、その温かみは仕事へのエネルギーを十分に与えてくれるところとなり始めた。外回りの仕事の人たちや高校生、近くに勤める人たち、いろいろな人たちが見られる。

                   ここは、自分の住む町から30kmほど南だが、同じ八溝山系にあって過疎化も進んでいるところだ。                                    
                   1年間ここで仕事をすると、100日以上も、この街の人、ものと生活することになる。その良さの幾分かを知り得ているが、味わいつつ仕事をしていきたい。



                   
                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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