さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
ブランクを取り戻せるか
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     土用に入って関東の北東端の緑に囲まれた地でも、朝の気温が23,4℃、最高気温が31〜34℃になり、気象庁も「梅雨明け」宣言をせざるを得なかった。

     ムクゲが白・桃の大きな花を木に付けているのと                                         
    同じ数だけ辺りに散り敷いている。ラジオで聞いた
    サルスベリ満開の情報を思い起こして頷いている。

     夏もいよいよ進んで、このまま時だけが進んでし
    まって、何もせずにはいられない。
     秋から冬への頃を考えたら、腰痛を気にして老化
    を加速させるのは、自分らしくない…。

     走ってみた。いきなり、かつてのトレーニングコース。私設の10km。時計でラップを計測。

       私のランニングは、’12 7.01の嬬恋高原
      キャベツマラソン(ハーフ)の出場を最後に、約2年
      にわたって長いこと休止していた。下半身の極限
      の痛みと予想以上の悪記録に失望していた。


     走れた。−−長距離・マラソンは足で走るのか、心肺機能で走るのか、という問いがあるが、私にはまだわずかながら貯金が残っているのかもしれない。
     腰痛は最悪時の10〜20%と感じているから、とにかく動かないとこのままじり貧の流れに乗ってしまうと考えたこともある。
     もう一つの生の問いもあった。腕に浮き出ている血管を見て、かつて何かのスポーツを集中してやっていたか、というものだ。−−これは、贅肉が取れただけでなく、一時に多量の血液を流すために体が自然に太くしたもので、その証だという。
     まだ残っているうちに、失くさないようにしようと思ったのだ。

     三日坊主ではなく、「三回続けばしめたもの」として、年末の目標を見据えている。
     「あまり自分を追い込まないように」と注意してくれる言葉を思い起こしながら…。
                                                             
     私に味方してくれるのが、「BCAAシトルリン
    プラス」だ。BCAAのゴールデン比率1:2:1の
    バランス(L-バ、L-ロ、L-イ)を維持し、さらに
    トレーニングのクオリティーを高める(L-ア、
    L-シ)を配合している。


     この年齢では、「超回復」は望めないが、腰の回りの筋肉が少し腰椎を支えるように動き出してくれたらいいのだが。いわゆる「体幹」の腹横筋・多裂筋や腸腰筋・腰方形筋の衰えを遅らせるよう、RUNとBCAAの組合せで抗したい。

     今夜も酒の量を少し減らして、シトルリン+を1包飲んだ。疲労した筋肉で成長ホルモンとドッキングするように…。
     「ラジオ深夜便」の森田美由紀さんの声を聞きながら眼を閉じたら、睡眠の質も上がりそうだ。


     
     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | らんにんぐ | 06:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    書けない理由
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       雨の晴れ間に、オレンジのグラジオラスが輝く頃となってしまった。


        記事が一つも書けずに、七月も
       二十日ばかりを過ごしてしまった。



       明けない梅雨の天候と、四月からの新しい仕事からくる疲労とが主な理由となって、夜の睡魔との戦いに連敗を繰り返していたのだ。もっとも、これには酒が一枚噛んでいるのだが ・・・。

       −−いや実は、何か気になることがあると、義務的な課題がなかなか消化できないという言い訳がましい暮らし方が時々現れ、三週間も居座ったのだ。
       その正体はと言えば、大した事でも無いのだが、私の心のどこかに、それを少し大きめに扱っておこうという意志が働いた。(いまだに解決していないが、堂々巡りの末に「慌てることはない。」と決めて、答えがこちらに向かって来るだろうと思うことにした。)


       
         もともとブログを書こうと考えたのは、日常の
        生活の中の一コマ、一コマに起こる喜び、憤り、
        不安、悲しみなどを日記風に書き留めようと思っ
        たからだ。

         また、間隔は置きながらも継続的に身体や頭を動かせば、アンチエイジングとしての効果も少しは期待できるだろうと始めたのだ。それから約二年半、そのささやかな歩みに大ブレーキがかかった。


          文章を書くとき、辺見庸を手本としてきた。
        (『水の透視画法』『眼の探索』・・・)
          −日常の出来事と自らの思考・思想との結び付け
        が違和感なくスムーズで、その引き出し方の妙を
        見ずにいられない。文体は虚飾が感じられず、簡
        潔で短くそして過不足無く状況や心情が描かれる。
        何より、誠実に「現在」の影を鮮やかに描き出そう
        とする意思を感じる。−


       これには書いた月が付してあって、七月までめくってみる。
       「アジサイと回想 生きるに値する条件」という題の文章があった。
       −−図書館のコピー機の前で、目の不自由な学生が持つ四十数年前に初見
         した『将来の哲学の根本問題』に再会する。
         〈 それだけははっきり覚えている。「悩むことのできるものだけが、
           生存するに値する。」これまで何万回反芻したことか、正直その
           一行に救われたこともある。 ・・・ 悩むことのない存在は、「存在
           のない存在」なのだ。あの二人はあのくだりに心引かれるだろう
           か。・・・ 〉

                                                               

        時が過ぎれば、「悩み」そのものが解決に進ん
      でくれることもあるだろう。
        ここまで来て、恐れるものがどこにあろうか。
        自らが信ずるところに従って進む以外にはない。 
        停滞している暇も無い。
                                                                                                              タチアオイ
                                                                                                                                                                


       
      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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