地方の古い家並みはシャッター通りになり、買い物は郊外のショッピングモールになった。その南側の一角に花屋が出ている。その場所を知っていて、その前を回って売り場へ行く。
今日のような穏やかな日には、入口の戸はすべて開け放して、花々は歩道にまで溢れんばかりだ。
スイトピーだ。
この優しいかおりは …。
少し歩を緩めた。
そして、そのかおりを確かめるように
深く息を吸う。
顔を見ずにはいられない。
一本だけ、手許にする。
そんな格好でベンチに腰掛けていたら、認知症が始まった老人と思われそうだ。だが、その香りが周りに放たれる前に全部自分が吸い込んでしまいたいような心境に駆られたのだ。
『春は馬車に乗って』(横光利一)を思い出した。病身に苦しむ妻と、妻を看護する夫の悲運におかれた夫婦の葛藤と愛情を描いている。春の訪れる終章に「スイトピー」がその役割を果たす。(帰宅後確かめただけ)
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しだいに海岸が賑やかになって来た、
ある日、彼のところへ知人から思いがけ
なくスイトピーの花束が岬を廻って届け
られた。早春の訪れを告げる花束を花粉
にまみれた手で捧げるように持ちながら
彼は妻の部屋に入っていった。
「とうとう、春がやって来た」と彼は言った。「まあ、綺麗だわね」と妻は頬笑みながら、痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。「これは実に綺麗じゃないか」と彼は言った。そして、「どこから来たの」と訪ねる妻へ、「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来たのさ」と答えた。妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして彼女は花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。
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そして、自分自身のことを思い出した。いい春なのか望まない春なのか、間違いなく時の春がそこまで来ているこの時期だったのだろう。両手一杯のスイトピーをあげようと買ったが、渡せずに枯らしてしまった…。