さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
スイトピーを買う
0

     地方の古い家並みはシャッター通りになり、買い物は郊外のショッピングモールになった。その南側の一角に花屋が出ている。その場所を知っていて、その前を回って売り場へ行く。
     今日のような穏やかな日には、入口の戸はすべて開け放して、花々は歩道にまで溢れんばかりだ。
                                                             

     スイトピーだ。                                              
     この優しいかおりは …。
     少し歩を緩めた。
     そして、そのかおりを確かめるように
    深く息を吸う。
     顔を見ずにはいられない。
     一本だけ、手許にする。


     そんな格好でベンチに腰掛けていたら、認知症が始まった老人と思われそうだ。だが、その香りが周りに放たれる前に全部自分が吸い込んでしまいたいような心境に駆られたのだ。

     『春は馬車に乗って』(横光利一)を思い出した。病身に苦しむ妻と、妻を看護する夫の悲運におかれた夫婦の葛藤と愛情を描いている。春の訪れる終章に「スイトピー」がその役割を果たす。(帰宅後確かめただけ)

                                         # # # # #

       しだいに海岸が賑やかになって来た、
      ある日、彼のところへ知人から思いがけ
      なくスイトピーの花束が岬を廻って届け
      られた。早春の訪れを告げる花束を花粉
      にまみれた手で捧げるように持ちながら
      彼は妻の部屋に入っていった。

    「とうとう、春がやって来た」と彼は言った。「まあ、綺麗だわね」と妻は頬笑みながら、痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。「これは実に綺麗じゃないか」と彼は言った。そして、「どこから来たの」と訪ねる妻へ、「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来たのさ」と答えた。妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして彼女は花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。

       # # # # #

     そして、自分自身のことを思い出した。いい春なのか望まない春なのか、間違いなく時の春がそこまで来ているこの時期だったのだろう。両手一杯のスイトピーをあげようと買ったが、渡せずに枯らしてしまった…。



     
    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    相聞歌 〜そうもんか〜
    0



        大学では、国公立大学の前期入学試験が間もなく始まる。高校は、一般選抜学力検査の倍率も確定した。この時期、在校(学)生には、既に学年末試験も終わって、追われるものは何もない。


       その「相聞歌」を教えることになった。週末課題(宿題)として使っているテキストに出てきたので。私にすれば、渡りに船で、話したいことが向こうからやってきたようなものだ。




        「相聞」(歌)(そうもんか)とは、万葉集の部立(分類に用いられている言葉)で、『古今和歌集』以後も、分類・編集の基準となった。恋など、個人的な思いを表す歌の意から、男女間の恋の歌そのものを表すようになっていった。
       
       『万葉集』の額田王・大海人皇子の歌から説明しようと、原文、口語訳、解説をプリントして説明しようとした。
           あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る  額田王
             紫草の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾恋めやも   大海人皇子
       

       「相 “問” 歌」になった。
       
       生徒:先生、わかりません。どこまで教える気になってんの。
       私 :俺の説明、飛んでるか。
          −君らは脳も、既に休みモードだな。−
       
       

       
       
       これは、「相聞歌」を楽しむ webサイトで、香川県宇多津町が運営している。自らを「恋人の聖地」と称して、「メールで恋の歌」を募集し、コンクールを行っている。「恋」をテーマとして、愛する人や恋人への想いを形式にとらわれずに、自由に表現したものが多数応募され、盛況だということだ。平成26年度の応募数は、5637通だった。
       
       平成25年度(第7回)の最優秀作品は、これだ。(ルークさん作)
       
         「あ」を打つと
                  「会いたい」 「あなた」 「愛してる」 
                                        私の気持ち先回りして

         これの方がいいよね。
       「先生、不倫の歌ですか。」いう質問が来るとも予想していなかったが、相聞歌の世界を「本当の恋心は、人がつくった規範を超えるものだ。」などと締めたくもあった。



      Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      やられた!パスワードショック
      0

         数字、数で割り切ることが出来れば、それが一番いいことだ。そういうことばかりに包まれていれば苦労はない。
         ところが、数字に弱いのだから元も子もない。

         パスワードショックに陥った。                                           

         携帯に暗証番号を求められた。これだろうと
        思って入力すると、「番号が違います」の表示。
         3回繰り返してしまって、すでにこの状態を
        端末では解除出来ずに、ショップに来いという。
         この間、行ったばかり…。

         端末を変更したのを機に、メールアドレスを変更しようと「設定」から始めたのだ。言葉が長めの私には、メールがいいところもある。そのアドレスが、vwj1f…の20桁(ドコモオンラインで買った端末に割振られていたアドレス)だったので、8桁の従前のものに直そうとしたのだ。

                                                                     

         それで、出てきたお化け。

         3回も、4回も同じ番号を入力したって、
        相手は機械なんだから駄目に決まっている。

         気持ちを落ち着けて、PCにおいたメモを
        見たら、4桁の数字があった。そうだよ…。


         もともと数字には弱いんだ。それにしても、 複数のPC、スマートフォン、タブレットと、それらで使っているソフトなどで、それぞれにパワードの設定が求められている。そして、3ヵ月くらいで変更するものもあるから、パスワードの洪水に中にいる。

          上手く使い分けられるように、様々な工
         夫はありそうだ。

          職場の情報管理は厳重なものだ。ネット
         上の端末数だけでも相当なものだから情報
         の流出防止には仕方がない。既に使用者の
         情報も入っていてアクセス制限が効き、報
         告のために、獲得した情報の入力にも何度
         もパスワード入力を要求される。    

         私のPCには、個人情報なるものもあるが、大したものは入っていない。
        スマホにしろ、タブレットにしろ、通信相手と内緒話はあるが、他人に迷惑
        を掛けるような内容もない。インターネットーバンキングもやっていない。
         パスワードなんか必要がない、位だ。
         

         
        Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        溢れるチョコレート
        0

           この週末には、人にも街にも、チョコレートが溢れたことだろう。
           毎年の出来事だから、取り立てて言うまでもない。

           チョコレートで、思い出してしまった。
           今年、その「チョコレート」にお世話になってしまったことを。(1月26日付けの記事にあり)
           与謝野晶子の短歌を解釈するのに、俵万智が書いている
          『チョコレート語訳みだれ髪』の表現を引いた。                                                                                                                                                           

          やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
          (燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの)

          その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
          (二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春の
                                   ヴィーナス)
                                                                        
             『チョコレート…』の出版は、2002年。1997
            年の『チョコレート革命』に続くものだ。

             当時、中学校で国語科の教員だった私は、このような
            言葉遣いは許せなかった。学生時代に平安時代の和歌に 
            学究的にも触れていたからだったろうか。('96-'97に
            も、学ぶ機会を得ていた。)


           ところが今回、それから15年余の時を経て、「与謝野晶子の短歌」を教
          えることになり、俵万智の解釈と表現に助けを借りることとなってしまった
          もちろんその解釈は、彼女の素晴らしい個性を発揮するものだとし、言葉遣
          いにも納得している。いや、感服しているといった方が良い。
           それでも、高校生には難しかったようだ。チョコレート語さえ古典の言葉
          であり、チョコレート革命も古い感覚なのだろうか。

                   

           『チョコレート革命』、『チョコレート語訳みだれ髪』は、随分売れたよ
          うだ。大学を出た後4年間、高校の国語の教師をしていたから、その頃の作
          品が多いのだろうか。賞も得ている。ヴァレンタインデーのように、これら
          の「チョコ」が溢れていたことだろう。

           私のチョコを使った和歌(短歌)の魅力を伝えたい。(俵万智作)
              「ファミリーランド」
             あかねさす昼は缶のまま飲むビール一人暮らしは旅にも似るか
              「チョコレート革命」
             君が手の記憶に残るという肌を一人ハーブの湯に浸しおり



           
          Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          「世の中に絶えて桜のなかりせば」始まり
          0

             昨年の寒緋桜を巡る旅を思い出す。沖縄本島北部名護から、南下して那覇から南部糸満辺りまで、移り咲く様子を自分の目で確かめることが出来た。およそ1ヵ月の旅であった。テイキンザクラとの出合いは、予想外であった。

             そんなことを思い出していると、本州の(極)寒の中で、伊豆河津桜開花のニュースが舞い込んだ。

             











             河津町指定の「河津桜原木」である。
             画像右下に、開花しているところがある。一分咲きとしている。町観光協会や桜祭事務局がホームページで刻々と、見所7,8ヶ所の開花状況を知らせている。

             私もPCのデスクトップに貼り付けた。
             一日ごとの、この「原木」の開花状況だ。

                                                                    
                                                                     


             やはり、満開は20日過ぎになるだろうか。
             勤め人は悲しい。土・日と何とか合わないだろうか。

             足は、スーパービュー踊り子だ。
             直ぐに空席情報を検索してしまった。今の状況だと、休暇を取って、今月最終週の平日に行くのがいいのか。


                                                



             
            Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            英語不要論
            0
               5日には、大雪にならないでよかった。
               首都圏の私立大学の一般入学試験が最盛期を迎えようとしているから、交通機関に乱れが生じるのではないかと心配していた。私自身に直接は関係がないが、ここまで必死で勉強してきた受験生に、普段と変わらぬ条件で試験が進むよう願っていたから。

               結果は・・・。試験だから思い通りになるばかりではないだろう。まして、一般入学試験の受験者は全受験生の三分の一(2/3は推薦)、センター試験を受験後、各大学が行う二次試験を受ける。まさに、実力が試される。ーそういう受験生に、エールを送らずにはいられない。

                  その予備軍に関わっているが、モチベーションも、
               成果も期待通りには挙がっていない。年度の終わりも
               見えてきて、少し焦りも感じて欲しい。「学ばず」し
               て「足らざるを知る」に行き着かない。



               「古典は必要か。」と聞かれる。
               英語も同じだ。平成28年度に改訂される新学習指導要領により、小学校高学年から教科として導入される見込みとなったのを機に、議論が本格的に始まった。(文部科学省中央教育審議会〜)
               
               それより先に、民間資格試験(「英検」など)の大学入試への活用を検討する有識者会合が立ち上げられている。教育関係者から、「英語教育は必要」としながらも、差し迫った課題ではないという意見もあったという。短期大学にあっては、その教育分野で医療・福祉・保育などの比重を高める傾向で、感覚的に違和感があるとしている。

                これに対して、財界側の委員からは「実用的な英語力の
               必要性」を求めると正反対の意見が、かなり前からあった
               企業は生産部門を海外に置くところが多いから、ビジネス
               における必然性は高い。学校でやってくれれば、企業には
               暇も手間もかからない。受験産業も盛況だ。

               当の中高校生は、どのように英語学習を受け止めているのか。ベネッセが昨年3月にアンケートを行った。(対象約6200人)9割以上が「仕事で英語を使うことがあるだろう。」と必要性を感じている。
               「では、自分自身が英語を使うイメージがあるか。」の質問には、中学生の44%、高校生の46%が「英語を使うことはほとんどない。」と回答している。これを研究所は、「教室を出れば英語を使う環境にはない。ただし、メディアにより『英語が大切』という意識はある。」と説明している。
                                                                                                                                                                         
                                                                                                                                                            
               英語をめぐる中高生の意識     

               大学の中には、「教養英語中心」から「コミュニケーション」に模様替えして志願者を増やしたところも出てきている。一般入試において民間資格試験の活用を決めたと言うところもある。「学生が求めているものは、教養としての英語ではなく、ツールとしての英語だということが分かった。」と語る。

               「ツール」としての英語教育は存在感が認められるが、「学び」そのものとしては既に死んでいるに等しい。大学に入るために英語を学習する必要がないのだから。ー古典(国文学の)は、化石か。



               
              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              節分
              0
                 豆をまくから節分なのか、節分だから豆をまくのか。






                  歳の数だけなんて食べられない。


                 旧暦では立春(付近)から新年になったから、その前日の節分は年の最後の日であり、その年の邪気を払って、迎える新年を無病息災で暮らそうと豆をまいた。

                 豆が用いられるのは、穀物に霊力が宿っているという信仰に由来する。その中でも粒が大きく威力がありそうなのが大豆だ。
                そして、邪気を払うための豆まきにおける鬼とは、姿形のない「災い」全般のことで、鬼たちの一時の悪者に、可哀想の感も逃れない。

                                                                            
                 豆まきの理由をなす語呂合わせが面白い。
                 豆が、“魔滅(まめ)”(魔を滅する)のためであり、
                悪魔のような鬼の目“魔目(まめ)”をめがけて投げ
                るものだとする。

                 また、まいた豆の拾い忘れから芽が出るのを
                縁起が悪いとして「炒った豆」をまくが、これ
                を“魔目を射る”と解する。


                 
                  『枕草子』に節分の様子が記されているので
                 少し追ってみた。
                  その端は、平安時代の宮中行事の一つ「追儺」
                 にあるという。
                  大晦日の夜に内裏で催されていた。悪鬼を祓い
                 厄災を除いて、新年を迎える祓の行事「追儺」だ。
                                                                     

                   『----戌の刻(午後八時頃)から、天皇の紫辰殿への出御から
                  始められる。
                   まず、陰陽師が祭文を読み、次に「シン子」と呼ばれる童子
                  二十人ほど従えて、鬼払い役の「方相氏」が登場する。
                     黄金の4つ目の怖い面をつけた方相氏(主役・祓い役)が矛
                  と盾を持ち、その矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼
                  やらい」と大声で唱えながら、宮中を歩き回り、目に見えない
                  疫鬼を内裏の四門に追い回し退散させる。
                   その後には殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続く。----』
                     (桃や葦にも古来より邪気を祓う力があるとされていた。)


                「追儺」は元々は中国の風習で、平安時代に唐の時代のものが伝わったとされる。今のように「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまくのも平安時代から始まったとされ、全国化するのは室町時代頃かららしい。。

                現在、平安神宮では節分行事として時代考証にもとづいた「大儺之儀(だいなのぎ)」が2月3日(節分日)に行われている。平安時代、宮中で行われていた年中行事「追儺式」を再現した儀式で、式、作法、祭具、衣裳にいたるまで綿密に再現されているという。    

                                                                       
                                                         


                 
                Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                TOP
                ブログランキング・にほんブログ村へ
                にほんブログ村