先日、東京五輪・パラ開催まで2年を切ったところで、被災地の反応を聞いたらしい。
「復興を成し遂げつつある姿を世界に発信する」を理念とし、岩手、宮城、福島の被災3県での聖火リレーや競技開催が発表されたが、理念が浸透していないとの声は根強い。jiji.com
いしのまき復興マラソンのスタート地点に置かれた
64年の東京五輪で使われた旧国立競技場の聖火台
被災者も冷静だという。福島市の仮設住宅で暮らす人は「復興五輪といっても、東京の五輪。遠い所でやっている感じがする。」と。福島県浪江町から避難している人は、「五輪をきっかけに、復興が進んでいないマイナスの面も知ってほしい。無理して『復興』と名付けなくていいのでは。」と。
こんな中で、祭り騒ぎもどうだろう。
五輪開催経費を復興に注いでは ・・・。西日本だって。
私も被災者だ。生活環境はほとんど修繕できたが、戻らないものもある。
私にどうこう言う権利もないが、自然災害については互いに助け合い、人災については政治が最後まで責任をとるべきだ。
そういう時、9日間復興相をした松本龍氏が逝去、67歳。
震災から4カ月後の11年7月、訪問した宮城県庁の応接室
で、遅れた村井嘉浩知事を「客が来るときは自分が入ってか
ら客を呼べ。」と怒鳴り上げた。この様子がTVNewsで伝え
られると抗議が殺到、復興相就任わずか9日で辞任した。
知事に「長幼の序」を行えと言った。
旧民主党政権での環境相や復興相を歴任。
日本社会党の出発だった。1990年
国民のための政治も、昭和も、さらに遠のいている。