さくらは、西行の桜か、石部の桜か、ある山桜か・・・。古に倣して桜を眺め 

    自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不情理・謝罪・希望・理想を記して      

    この生の証しとする。
30kmで棄権とは
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     今シーズン最初のマラソンを走った。

     

     

           記録証

     

     

     完走証ではなく、記録証だ。

     30kmで棄権だから。

     

     今シーズンは止めようと思っていたおまけだから、まあそこそこでいいとしていた。いざ走り出すと早くゴールに辿り着きたいと思ってしまった。

     ハイペースだったという訳ではない。練習不足を自覚していなかった。

     エントリー締切を逃し、「キャンセル待ち」から走るようでは、私には当然の結果だったのだろう。

     

     

     2010年50歳半ばでフルマラソンを始めたから、サブ4を目標にしてきた。

     腰痛の弊害を受けながら何度かそれを達成して、いよいよ練習が大変になってきた。

     

     それより20年早く始めたゴルフのために走りだしたのが、フルまで走るようになったのはよくなかった。

     半分旅行気分で北海道から沖縄まで出かけたが、年齢が進むとフルとゴルフと仕事のバランスを取るのは難しい。

     

     

           28 Oct. Mito

     

     

     

     学生時代を過ごした街を走るのは楽しかった。合宿で早朝の大通りを走った記憶が蘇った。

     

     

     9シーズン目、22回目のフルマラソンで、途中棄権は初めてだった。

     生来の負けず嫌いの性格には半ば火が付いている。

     練習量を増やし、11月12月にエントリーしている大会に、サブ4を達成してきっぱり止めようとしている。

     

        フルがそろそろ辛くなってきた。

        毎週水曜日に通っているゴルフ場の例会の成績がいいから、

             体調を崩して獲得しそうなメリットを逃してしまうことはない。

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | らんにんぐ | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    走る遺伝子
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       1992、96年バルセロナ、アトランタ五輪に出場した真木和さんが死去した。近年、乳がんを患い抗がん剤治療を続けていたという。49歳、まだ走っている女性選手もいる年齢だ。

       

       

        

        愛媛県今治北高からワコールに入社。駅伝など

       で鍛え、長距離選手として日本を代表する選手ま

       で成長した。1992年には1万メートルで日本記録

       をマークし、バルセロナ五輪1万mに出場。

        初の五輪では積極的な走りを見せながらも入賞

       を逃して12位に終わった。

        

       

       

       

       駅伝ではワコールのエースとして全国優勝に貢献した。髪の毛を短く刈り上げ、ボーイッシュでスタイリッシュな走っていた。(真木さんに憧れてワコールに入社したのが、04年アテネ五輪金の野口みずき。)決して後ろを振り向かず、積極果敢に攻める走りと形容された。

       

          96年アトランタ五輪に向けてマラソンに転向、3月の名古屋

         国際女子マラソンで、バルセロナ五輪金のワレンティナ・エゴ

         ロワ(ロ)を破って、初マラソン初優勝の快挙を達成する。

       

            そして、出場する前から痛めていた足は、五輪本番までの4

         カ月間で完治することはなく、痛みを抱えたままの出場。棄権

         を拒んだ真木さんは足の痛みからか、10km過ぎにトップ集団

         から脱落。それでも最後まで走りぬき、12位でゴール。

            ― 親交の深かった野口みずきには、真木さんの「走る姿勢」

           は受け継がれていたただろう。

       

       

       '18 プリンセス駅伝予選会で、岩谷産業の飯田玲選手が転倒して右すねを骨折し、膝から出血しながら中継までの200mを這ってタスキをつないだことが、世間を巻き込んで話題を呼んでいる。(監督は真木さんや野口を育てた廣瀬永和氏。)

       

       

            

       

       

       真木さんに、「走らせるべきだった」か、「止めるべきだった」かと尋ねたら、走り続けると答えただろう。

       

       

       

       

      Posted by : 桜の好きなKOMUT | らんにんぐ | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      プラスチックごみの削減
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         消費税を10%にするとの表明を受けて、国民は対応やささやかな抵抗を始めている。

         

         こういうとき、自民党の二階幹事長が、党本部の会議や食堂でプラスチック製ストローを使わないと発表した。

         「プラスチックのゴミによる海洋汚染は極めて深刻だ。国際的にも取り組みが急がれている。政府や企業にも協力を頂けるよう働きかけていきたい。」と語った。

         

         

           ストローを含む使い捨てプラスチックは海洋汚染に

          つながるとして規制の動きが出ている。

         

         

             

         

         

         翌日小池都知事は、世界的に問題になっている廃プラスチック問題に東京都としても対応するため、プラスチックごみ削減を進める「条例による対策の推進も視野に、都として進めるべき施策を検討する。」と述べた。

         都庁内にある店舗の協力で、紙製ストローの使用を検討、都職員に都庁内での買い物にレジ袋辞退の協力を求めている。

         

         国民の目は、「プラスチックごみ」に向いてしまったか。

         

         

         それ以前に、こんなのがある。

         

         原田環境相は就任3日後の4日の記者会見で、「レジ袋は有料化も義務づけるべきではないか。」と述べた。

         プラスチックごみを減らそうという取り組みが世界で広がるなかではあるが、大臣としてそれが第一に挙げるべきことなのか。

         

         

             

         

         

          中川前環境相は今年7月の会見で、「中国が資源ごみの輸入を規制した」ことに関する質問(Y新聞N記者)に、「閣議決定を予定している第4次循環基本計画において、『プラスチック資源循環戦略』策定を盛り込んでおります。今回のプラスチックの資源循環が更に徹底されるよう、しっかり検討してまいりたいと考えております。」と回答の記録がある。

         

         

         「プラスチックごみ」 ・・・ それほどの問題と思われない。

         産経新聞10/13(土)の高瀬真由子記者の書いた記事が、それて答えてくれている。「海洋汚染 プラ製ストローは悪者か」(要約)

         

             *   *   *   *   *   *   *

         

          プラ製ストロー「排除」の動きが拡大する。直径5ミリ以下のマイクロ

         プラスチックが、生態系に影響を与えていると叫ばれ、ストローがその象

         徴となった。ただ、プラ製ストロー廃止が、海洋汚染の解決に直結するわ

         けではない。プラスチックは飲料ボトルや食料容器など、あらゆるものに

         使われ、われわれの生活を豊かにしている。

         

            2016年世界経済フォーラム年次総会報告によると、流出ごみのうちスト

         ローが占める割合は、0.1%以下との見方もある。

         

            平成10年ごろの「環境ホルモン」、「青酸カリよりも毒性が強い」と危

         険視されたダイオキシンも、日常の生活で摂取する量では、影響が生じる

         ことはないと考えられている。環境問題では、まるで熱病にうなされるよ

         うに問題視されたことが、その後、嘘のように沈静化するケースがある。

         

           プラ製ストローを紙に切り替える場合も、新たな環境負荷を生まないか、

         冷静にみる必要がある。紙の材料として、森林伐採が進む可能性もある。

         ストローは幼い子供や障害者にとって、水分摂取に必要な道具だ。現時点

         では、紙やバイオマス素材のストローは、コストや品質面で課題がある。


           ストローを生け贄のようにしても、問題解決にはつながらない。環境保

         護の議論には、冷静な視点が欠かせない。

         

             *   *   *   *   *   *   *

         

         私はまあ、持っている残り時間は長くはないから、CO2削減も、プラスチックごみを減らすことも、大した問題ではない。少子高齢化も、貧困格差も、介護も、そのうち何とかなるのだろう。

         

         

         

         

        Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        嫁いでいく姪
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           弟の長女の結婚を祝ってきた。

           この田舎町で生まれ、高校を卒業する18歳まで過ごした。

           

           その後地方都市で4年間を過ごして、東京に出て3年間を暮らした。

           ちょっと会わない間に、すっかりきれいになっていた。

           

           

                発光液キャンドルで

           

           

                末永い幸せを祈るばかりだ。

           

           友人たちに優しく楽しく祝ってくれて、仕事の同僚に祝福され、披露宴は盛り上がった。

           

           実質的な子育ての身近なところを担っていた祖父母も、80歳を超えた皺だらけの顔で喜んだ。

           どこの家庭でも同じように、両親は少し複雑だったろう。嬉しさと嫁にやってしまう寂しさと ・・・。 

           

           披露宴が進んで新郎が礼を言うころになって、新婦の姪の心には幸せにと誓いのようなものが大ききなったことだろう。

           

           

                        末永い幸せを祈るばかり。

           

                  

                       ハープ演奏のチャペル

                        

                       

                               ヒルトン東京ベイ

           

           

          Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          最も悲しいはずの死
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             私たちが人の死を悲しいものだと感じる最初は、肉親の死に直面した時ではないだろうか。

             楽しいことも、時には何か辛いことに出合って励まされたことも、そして小さな諍いをしたこともあっただろう。思い出すその一つ一つが、彼らの血を受け継いだという事実以上のものとして、その悲しみを呼ぶのだろう。

             

             

             そういう場面を綴った「はず」のエッセーを

            目にした。さくらももこ著『もものかんづめ』

            の「メルヘン爺」だ。

             

             

                 

               祖父が死んだのは私が高二の時である。
               祖父は全くろくでもないジジィであった。

              ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリは

              するし、母も私も姉も散々な目に遭った。
               そんな祖父のXデーは、五月の爽やかな土曜の夜に突然訪れた。
               夜中十二時頃、祖母が「ちょっと来とくんな、ジィさんが息してない

              よ」と台所から呼んでいる。私と父と母はビックリして祖父の部屋に行っ

              た。なるほど、祖父は息をしておらず、あんぐり口を開けたまま動かな

              かった。あまりのバカ面に、私も父も母も、力が抜けたままなんとなく

              笑った。
               まもなく医者が来て、祖父の屍をひと目見るなり「これは大往生です

              ね」と言った。死因は幸福の条件の中でも最も大切な要素のひとつであ

              る”老衰”であった。

             

             

                 

             

             

               夜中三時頃、続々と親戚が集まってきた。こんな大騒ぎにもかかわ

              らず、姉は自室で熟睡している事を思い出したので、私は慌てて起こ

              しに行った。
               「ジィさんが死んだよ」と私が言ったとたん、姉はバッタのように

              飛び起きた。「うそっ」と言いつつ、その目は期待と興奮で光輝いて

              いた。私は姉の期待をますます高める効果を狙い、「いい? ジィさん

              の死に顔は、それはそれは面白いよ。口をパカッと開けちゃってさ、

              ムンクの叫びだよあれは。でもね、決して笑っちゃダメだよ、なんつっ

              たって死んだんだからね、どんなに可笑しくても笑っちゃダメ」とし

              つこく忠告した。
               姉は恐る恐る祖父の部屋のドアを開け、祖父の顔をチラリと見るな

              り転がるようにして台所の隅でうずくまり、コオロギのように笑い始

              めた。死に損ないのゴキブリのような姉を台所に残し、私は祖父の部

              屋へ観察に行った。誰も泣いている人はいない。ここまで惜しまれず

              に死ねるというのも、なかなかどうしてできない事である。

             

             

             

              「ジィさんの顔、口を閉じてやらなきゃ、まずい

             なァ」と誰かが言った。私は、そのままでも面白い

             から問題ないと思ったのだが、そういうわけにもい

             かないらしい。
              「白いさらしの布で、ジィさんの頭からアゴにか

             けて巻きたいのだが、布はあるか」と親類の男が尋

             ねるので、母と祖母は必死で探したのだが見つから

             なかった。深夜なので買いにも行けず、モタモタし

             

             

               ているうちに死後硬直が始まってしまいそうだったので、やむをえ

              ずありあわせの手ぬぐいで代用する事になった。
               この手ぬぐい、町内の盆踊り大会で配られた物であり、豆しぼりに

              『祭』と赤い字で印刷されていた。
               ジィさんは、祭の豆しぼりでほっかむりされ、めでたいんだかめで

              たくないんだか、さっぱりわからぬいでたちで、おとなしく安置され

              ていた。祖母は、「ジィさんは、いつでも祭だよ」と力なく呟いた。

              私が姉に「ジィさんのくちびるから、祭ばやしが聴こえるねェ」と言っ

              たら、彼女はまた台所のゴキブリになってしまった。

             


               体をS字にくねらせて、頬に手を重ねるジジィの姿は、ちょうど夢

              見るメルヘン少女のようであった。
               ジィさんの戒名の称号は居士であった。死ぬと無条件に仏の弟子に

              なれるというこの世のシステムには改めて驚かされる。もしジィさん

              が本当に仏の弟子になってしまったら、インチキはするは酒は飲むわ

              で一日で破門であろう。
               それなのに”居士”だ。私が、「立派な戒名もらってヨカッタねえ」

              と母に言うと、彼女は、「あたしゃ、生きているうちにいい目に逢え

              りゃ、居士でもドジでもなんでもいいよ」と言いながら,葬式まんじゅ

              うをパクパク食べ始めた。位牌が少し傾いたような気がした。

             

             

             

              こんなに長く引用することもないんだが、あんまり酷い書き方な

               ので、誰かに、誰にでも見て欲しいと思って、そうしたのだ。(8月

               31日弊欄でさくらももこさんのことを賞賛したが、舌が乾かないう

               ちに取り消しをさせて貰わざるを得ない。)

                 祖父の死を、こんなに酷い書き方をするには耐えられない。多少

               の虚構があるにしても、静かには読めない。

             

             

              私に人の死、命の尊さを教えたのは、曾祖母の死・祖父母の死

                 であり、それよりずっと後の両親の死は、もっと辛かった。

               これは私だけではなく、ほとんどの人がそうであると思っている。

                  小さい子どもを教える立場にあって、皮肉にも肉親の死が命の

               大切さを理解する最大の機会であると思ってきた。今そうでなく

               ても、そういう場に遭遇したら、その子(人)は必ず分かるだろう

               と、無理に説明など要しないとしてきた。今もなお、そう確信し

               ている。

             

             

             

             

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            日本語教育が必要な生徒
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               文部科学省が、初めて調査したとした「日本語教育が必要な生徒」の調査結果を発表した。

               「日本語」で「国語」ではない。

               対象に、想像と少しズレがあるかもしれない。

               

               実は、外国で育つなどして日本語が十分にできず、「日本語教育」が必要な生徒について調査したものらしい。

               

                  公立高校生のうち9.61%が、昨年度に中退していたという。

                    全公立高校生の中退率の1.27% に比べたら7倍以上だ。

                           進学率は 平均の約6割

                           就職の場合 平均の約9倍が非正規

               

               

                   

                           

                    支援の不足が背景にあるとしている。

               

               

               私は、「国語」と読んでしまった。

               「国語教育」といっても、現実的には、言葉としての「日本語」だ。

               国語科として学ぶ「日本語」は、日本文化を網羅した土台の上に成り立っている。 

               

               

                   

               

               

               だから、国語科を疎かにしている生徒を見ると、様々なところで「日本(人)らしさ」が確実に失う方向に進んでいると思う。

               

               「生産性」云々と言った人がいたが、「負」の再生産と、どちらがいいか甲乙付け難い。

               

               

               

               

              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ことば | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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