さくらは西行の桜か、醍醐桜か、ある山桜か・・・。周りに起こる出来事から
自らの過去・現在・未来の生への執着・悔恨・不条理・謝罪・希望・理想を綴り、
自らの生の確認としたい。
庭の桃満開
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     庭の桃は今年も、早くも遅れもせずに満開になった。

     20日は母の命日で、15回目になる。

     満開の桃が、昨日のことのように思い出させる。

     

     

        

     

     母が亡くなったのは70歳だった。

     病気には勝てないが、もう少し、平均寿命ぐらいまでは元気でいてほしかったなあと思う。

     ふと丈夫だった頃が浮かんでくるたびに、そんな風に考えるのだ。

     

     

     母も、父も健在の時から、私は自分の思うように仕事をし、遊び、そしてあまり好まない方向に学んでいくのを見守ってくれた。

     親孝行というのには逆行していたと、今更ながらに思うのだ。

     

     今勤め人としての定年を過ぎて、仕事をしなくても何の不自由もなく過ごすことが出来るのは両親のお陰だ。

     その時その時、自分のことだけを考えて、好きな方を向いて、思うだけ行きつ戻りつしている。

     弟たち家族や縁のある人たちは心配しているだろうから、出来る限り迷惑を掛けないように暮らしていきたいと強く思っている。

     

     

     今年も、仏前に供えるのは手作りではないことに許しを請う。

      (近所の農家の人がつくったもの)

     

     よく作ってくれたかぼちゃの饅頭があったので供えます。 

       

        

            

     

     

     今頃だから、草餅です。日(ことび 季節の行事など)に作ってくれた稲荷寿司を。

     

     

               

     

     

     孝行をしたい時分に親はなし、とはよく言ったものだ。

     引き戻すことは出来ないし、止めるわけには往かない。

     

     

     

     

    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | -
    西行の桜
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       桜の開花・満開には、西行の「ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」に、自然とその光景を思い描いてしまう。

       

       今年桜の満開の頃に月を眺めたのは、おぼろ月夜ではなく白くなった月だった。

       

       

           

       

       

       これは、ソメイヨシノと月を組み合わせた画像だ。

       

       和歌のいう如月(旧暦2月)の望月は、3月12日だった。

       今年一番早かった東京の桜の満開4月8日だったから、ちょっと無理だ。

       1ヶ月後の弥生の望月なら4月11日だったから、この桜と月(実は、月は十六夜だ。)を見られるだろう。

       

         西行が、如月の望月の頃に、満開の桜の下で、死にたいという

        願いは叶っただろうとする考え方もあるようだ。

         文治六年(1190年)2月16日は、新暦では 1190年3月30日と

        いう計算があるらしい。
       

       

          桜の咲く頃の満月の日を、西行の忌日にしたいという

             古の人の思いを感じる。

       

       しかも、当時は桜はまだ山桜だっただろう。

       

       

            満開の山桜

       

       

       如月の桜は難しい。

       私は、桜の満開に合わせて満月を見ようと、何日も前から待ったが、雲に邪魔されて一つの画面には入らず白い月だった。

       望月の「ころ」は、確かに時を表していた。

       

       弥生の望月過ぎに、満開の桜の下でささやかな幸せを感じている。

       

       

       

      Posted by : 桜の好きなKOMUT | さくら | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
      菜の花畑の向こうの月
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          蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」という句の風景にあえないものかと思っていた。

         以前もそんなことを言っていたが、まだ実現としていない。

         

         私の所のような関東の山あいでは無理で、もう少し早めに南の方へ探しに行けばよかった。西も東も、地平線が見えるような平らな土地なら菜の花畑があって、3月半ばから咲いているだろう。

         山村暮鳥の「風景」の〈いちめんの菜の花 いちめんの菜の花 ・・・〉のような光景が浮かぶ。

         

         蕪村も、広々として菜の花越しに眺めたのではなく、摩耶山から見下ろす菜の花畑と、同時に昇る月と沈む太陽を見たらしい。

         

         こういう光景の画像はない。手で描いても伝わるが、なかなかそれは叶わない。次の画像に出合った。時間帯だけで、月も太陽もない。

         

         

               

         

         

         右側が西だろう、手前の菜の花畑に、沈もうとしている太陽の光が差している。

         この時、東に月が昇ってくる。

              

         

         では、いつ頃だったのか。

         安永三年の三月二十三日に詠まれた句だとされている。

         (グレゴリオ暦なら1774年5月3日)
         やはり、この句は眼前の風景を詠んだものではないということだ。
               ◇
               ◇
         現代の私たちにとって旧暦の日付そのものが、おおよそ月齢を表しているから明らかだ。
         この歌が詠まれた当時の暦での三月二十三日は、下弦の半月だったろう。まさにこの時間帯には、「月は東に日は西に」とは不合理だ。
               ◇
               ◇
          「月は東に日は西に」の情景が見られのは

         満月の前後だ。月が出てからわずかなに時間

         (10分程)に、この光景が見られることになる

          ところが、この「前後」や「ほど」が厄介だ。
               ◇
               ◇
               ◇
         日の入りの時刻は1分程度遅れていくが、月
        の出る時刻は一日に1時間近く遅れていくから。菜の花、月、日、揃ったのを見るには相当の準備が必要だ。
               ◇
         もっと偶然性に迫られるのは、「天候」だ。それが究極の美を呼んでいるようで、現実的だ。
         そんな偶然に出くわしてみたい。
               ◇
               ◇
         こんなことを考えた始まりは、時季的なことからか「西行の『ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ』の桜と如月の望月」の光景を思い描いたことだ。
        Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) | -
        自然素材に誘われて
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           2週間程前に、自家栽培の野菜を使った家庭料理を食べに行こうと誘われていた。昼食に行くのに、9時になったら予報通りの強い雨。

           

           それでも、彼にとっては1週間に一度の休みだから、今にもアクセルを踏んで出発しそうに待っていた。

           そう、彼は月に1回、私の少ない髪を整えてくれる barbar's 。

           私が一番血の気が多かった頃の教え子で、彼は大人しい生徒だった。

           

           

           矢板市の「ののか」と聞いていたから、検索するとすぐ分かった。

           今日は雨が強かったので外でカメラを持ちたくなかった。「栃ナビ」に「野の香」があったから、ここにその店の外観を置くことにする。こんな天気なのに、ミドルのお姉さんやおばあちゃんたちで一杯。

           

           

            安全・安心な自家栽培の野菜を使っ

           た家庭料理の店です。化学調味料も

           一切使わずに仕上げています。野菜

           は無農薬・無化学肥料で育てていま

           す。「安心・安全な食材で作る」

           それが野の香のランチの特徴です。

           ドライフラワーや自家栽培野菜の販

           売もしています。(栃ナビ)

           

           

           

           今日のメインは鶏。何でも佐賀県産だったか、そこの地鶏だとか。

           焼いて、ドレッシングをかけた水菜などが乗せてある。

           

           

            

                     

                                                         テーブルが黒で映えない

           

           

           7つの鉢に前菜の盛り合わせ。野菜が中心だ。これが、自前の無農薬・無化学肥料だ。料理を一通り揃えると、野菜の取り入れだと行って主人は雨の中へ出ていった。

           主菜は肉・魚から選べるが、その鶏にした。鰈かれいの煮付けで、酒もよかったのだか。ご飯も玄米、白米のあるが、雑穀米にした。

           見た目にも健康的だと分かることが、美味しさを加えている。それを店の方も丁寧に説明をしてくれる。

                                          

           最もいいのは、時の過ぎるのを考えずに、   

          今までには少なかったゆっくりと食べている

          ことなのだろう。

           

           

           

           

           

           

          Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
          どうするの日本
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             7日未明米がシリア・アサド政権の軍事施設を空爆した。

             中国の習近平主席を迎えて首脳会談の直前だ。

             

               米軍は地中海東部に浮かぶ駆逐艦2隻から59発のトマホークミサイル

              をシリア中部の空軍基地に打ち込んだ。

               シリアのイドリブ県で4日に行われた化学兵器によるとみられる攻撃

              で86人が死亡したのに対して、米政府はアサド政権によるものだと断定

              その拠点だとする空軍基地への爆撃。

             

                 ※ この空爆について、国連の安全保障理事会は5日、緊急会合

                  を開いたが、意見が対立していて、当初目指していた非難決議

                  案の採決先送りされていた。

             

             トランプ大統領は最初に、「致死的な化学兵器の拡散を妨げることは米国

            の安全保障上、極めて有益である。」とコメント。

             

             

                 (ikily.xsrv.jp)

             

             

             シリアにおける米ロの関係がはっきりしている。

             アサド政権を支援してきたロシア。攻撃された基地にも武装ヘリを配備。

             

             米国防総省は、攻撃の2時間前にロシアに、基地から撤収するよう通告。

             

             プーチン大統領は、攻撃を非難するコメントを出していた。
               「主権国家への侵略行為であり、国際法違反である。シリア軍は

                化学兵器を保持していない。廃棄した事実が国連機関によって

                証明されている。」

             

             

             7日 男 安倍首相が、「化学兵器の使用を許さないアメリカ政府の決意

                 を日本政府は支持する。」と表明した。(16時01分)

             

             

               7日 国連の安全保障理事会の緊急会合  

              米ヘイリー国連大使「民間人が犠牲となった化学

             兵器の使用は許されない。我々の行動は十分に正当

             化される。」と、更なる軍事行動の可能性を示唆。

             

             

               これに対して、アサド政権を支えるロシアは「アメリカの攻撃は

              国際法違反であり侵略行為だ。自制を求める」と強く非難した。

                                            (TBS NEWS etc)

             

             

             支持はどうかなぁ・・・。傍観者でいると、存在は軽視されるが。

             

             

             

            Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | -
            道徳の話が出来るか
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               学校では、新入生を迎える準備が続いていることだろう。

               春の高校野球大会地区大会の組合せも発表されている。

               

               新年度が始まっている。だろう。

               小学校で2018年度(中19・高20)から道徳が教科化されることには注目だ。年間指導計画はあったが、、「教科の授業と同様」に「検定教科書」が使われ、「学習状況や道徳性の変容に関わる成長の様子」を把握して、児童・生徒を評価することだ。

               

               円滑な社会生活を営むためにさまざまなルール・マナーを身につけ、善悪を判断する力を付けようとしてきた指導に、
              いじめ問題の解消に力を入れようとするものらしい。

               

                                                 

               「天下り」問題が続いて噴出している文部

              科学省の弁に、説得力があるとは思えない状

              況あちこちに見えている。

               

               

               文科省が小学校の教科書の検定結果を公表した。

               

                 話し合ったり、発表したり、主人公の役を演じ

                て考えたり、学習方法は多様に示された。しかし

                肝心の中身は学習指導要領にがんじがらめだ。

                 「パン屋を和菓子屋に、アスレチック・・・を和

                楽器屋に」と、修正して検定をパスしたという。

                 すでに、「人としてどうあるべきか。自分は

                どう生きていくべきか。」には、ほど遠い。

               

               

               道徳科の内容として、「正直,誠実」「節度,節制」「礼儀」「感謝」などの22の徳目が定めている。

               

               教育勅語の一部を、これらと同様なものと考えて、学校に進めるべきだと主張する人がいる。

                 爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)ニ孝(こう)ニ 兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)シ 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)シ(じ)・・・

               

               森友学園を巡る一連の騒動で、その教育内容について触れた稲田防衛相の参院予算委で答弁だ。(3/8答弁ではなく、私見の発表だったろう。)

               現防衛相の言とは信じがたい。教育勅語を持ち出したこと。教育勅語礼賛を公表すること。

               

                         

               

               教育勅語は、明治天皇が教育の基本方針示すために出した勅語であることを忘れてはならない。

               大日本帝国憲法の発布直後、大日本帝国における国民道徳の基本と根本理念を明示するために発布された。

               

                  教育勅語は、1948年に、日本国憲法や教育基本法に

                 反するとして、軍人勅諭とともに衆院で排除に関する

                 決議・参議院で失効確認に関する決議が行われている。

               

                  3日、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材と

                 して用いることまでは否定されることではない。」と閣議

                 決定した。

               

                  官房長官は記者会見で、戦前に使われていた教育勅語に

                 ついて、わが国の教育の唯一の根本とするような指導を学

                 校で行うことは禁止されているとする一方、教材として使

                 用することまでは否定されていないという認識を示した。 

                  文科相は衆院決算行政監視委で、歴史の理解を深める観

                 点から教材に用いることは問題ないとした。

               

               

               18年度から教科になる道徳の授業は、間もなく再開する。

               1955年から行われた道徳に、私たちの世代も育てられた。

               優しく賢い日本の国民を育てるために、公教育にあっては時代が拒んだ教育勅語の精神を排除した教育が行われることを望んで止まない。

               

               

               

              Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | -
              GolfにRunにリハビリ
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                 一昨日のゴルフを「リハビリ」だといった。

                 

                   大震災の11年、仕事もゴルフもランニングもぷっつり切れたところに

                  腰痛が出た。そして父を亡くして、悔いの日々も続いた。

                 

                 病気だったとしたら、この後遺症に医学的・心理的指導や機能訓練を施して

                機能復帰や社会復帰を図るように、頑張って何とかしようと思い始めたのだ

                 

                 ぐすんぐすん 仕事を、「終わった人」にしたので、新しいものを求めずに、これら

                  を以前のレベルに戻せるかどうか、やってみようということだ。

                   挑戦だ。

                 

                 

                          

                 

                 

                 ゴルフで、その期間を昨年16年4月〜17年4月〜18年3月として、焦らず

                広い観点から、これをやろうと決めていた。

                 

                 

                 

                 それで今日、RunのためにWalking をやった。

                 結果的に、20.4kmを、3時間54分かけて、八溝山を上り下りした。

                 

                 とにかく始めた。これだけでよかった。次が来るから。

                 4時間身体を動かし続けたのは、マラソン終盤を体験したとも言える。

                その消費カロリーが、1,406(cal)には少し残念だった。

                 

                 ゴルフのために、下半身の筋肉に刺激を与えた。鍛え始めた。

                 

                 

                 私は、トレーニングの時々に、ここを選ぶ。

                 何本か道があるが、最短でも往復15km、高低差600mはある。

                 

                 この時期は、風が強かったり雪が残っていたりする。

                 

                 

                       

                               大田原方面からの道で

                 

                 蛇穴(大子町)の鳥居から7.2km、標高747m。

                 すでに路肩に雪が残っていた。そして間もなく、雪が道をふさいだ。
                 ランニングシューズで雪の中を歩くこと4.5km、1時間。
                 八溝嶺神社に着く。頑張りを誓い、肉親や知人の平穏を祈る。
                 
                       
                              50m行って、山頂の標識に触れる。  
                               
                                               1022m
                           
                      ここまで、13,579km。この幸運な奇数並び。
                                         
                                                                                                                                                                                                         
                 東側福島県矢祭町の高笹山(922m)、神宮山(746m)も白いのを見ながら速歩になって、倒れそうに下りた。
                Posted by : 桜の好きなKOMUT | ごるふ | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                東山魁夷と平山郁夫
                0

                   

                   東山魁夷を観てきた。

                   

                     唐招提寺御影堂障壁画展     茨城県近代美術館   

                                    

                       濤声

                   

                   

                   障壁画ということで、大きい、いや長く琳派のような雰囲気だった。     

                   この「山雲」は試作で、今時のテレビ画面くらいの大きさ。

                   

                   これはメインではなく、私の見たいものだっただけ。

                   メインは、障壁画すなわち襖ふすま絵だった。

                   16枚分の迫力は言うまでもない。

                   

                   溜息や感嘆が漏れていたが、私にはそこまでの感動はなかった。

                   

                   

                           山雲

                   

                   

                   これが、東山魁夷の中では、好きな類だった。

                   

                   

                   平山郁夫のシルクロード・パルミラ遺跡を往く隊商を観たのは、2週間前だったか。

                   

                   

                       

                   

                   

                   観覧者は、連れだった高齢者が多かった。3週間で、1万人を越えたという。若い男性は数えることが出来るほどではなかったかと感じた。

                   

                   

                   東山魁夷展は、地方ながら文化都市の水戸で開かれていることもあるのか、2月中旬からの1ヶ月半で3万人を達成したと聞いていた。

                   どちらの展覧会でも、元気な高齢者が多かったことに驚いた。

                   作品と私たちの物理的な距離が縮まっているから、これからまだ観る機会があるかもしれない。

                   

                   長い時間にわたって価値を認められてきた作品が、多くの人に観られるようになっていることは素晴らしいことだ。

                   観覧者の絵を観る capacity あるいは readiness は、自他共に問題にされていないようだ。いいことだろう。

                   いや、その文化あるいは芸術の価値を理解・享受するには、予め備わった(理解)能力を必要とするカテゴリーがある。絵画や音楽では、それをあまり求められないようで気軽なアプローチが出来ることには嬉しい。

                   

                   

                      茨城県近代美術館

                   

                   

                          

                                          千波湖対岸に水戸芸術館

                   

                   

                   

                  Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                  思い出す旧烏山高
                  0

                     

                     ここ烏山での仕事にも、ピリオドを打つことにした。

                     40年余り前の3年間を過ごした母校だっことは、教えることで「終わった人」になるのにもいい機会だと思った。

                     それほど楽しかったとは思えない当時の生活を思い出すのは、時が流れたせいなのか。

                     

                     多少手が加わりながらも、当時が残っている南校舎、体育館。

                     創立者川俣英夫先生像と川俣記念館。


                      
                         

                           2度目の改修にかかった川俣記念館に

                           2月末多分今年最後の雪が降った。

                                      

                     一年前に入った校舎では、受け継いでいるものはほとんどなかった。

                     人はなく、古ぼけた図書館ぐらいだった。

                     

                     何より私たちを鍛えてくれた旧烏山高の空気がなかった。

                     (現校は07年女子校と統合した新校だと逃げ、改善を図らない。)

                     

                     

                     私が在学した頃には、たくさん烏高OBがいた。

                     3年に進級して受験シーズンまでの補習授業では、苦手な数僑造覆蘆訖抜きで夕方まで続いた。

                     後輩への要求は、日頃から無情に高かった ・・・。

                                            

                                                                                                                                          

                             時代に合わせてか、

                         北校舎等の改修時に、

                        昇降口付近も、

                         モダンな姿に様変わり。                    

                     

                     

                     

                     その07年に統合した新烏山高校は、今年’17年に創立10周年を迎えるということで記念誌が編集されつつある。

                     そして偶然にも、その原稿の校正の役をもらい、烏高が息づく文章に出会った。

                     

                        旧烏山高校の104年の歴史をもって ・・・この地方に教育を興し発展

                       させた創立者川俣英夫先生 ・・・今後とも脈々と伝え継ぎたい。その胸

                       像はまさしく当地方の教育文化遺産である。(旧烏高教員)

                     

                        「そんなことをしたら、切腹ものだ。」同窓会統合に向けた会議の

                       中で、川俣像を移設してはとの意見に対する烏高同窓会役員の言葉で

                       あった。

                        烏高の同窓生の強い思いを感じた。在校時代の母校愛教育がしっか

                       りなされた結果だと感心させられた。(旧烏女高同窓生)

                     

                       
                       

                          川俣英夫先生像             旧校訓碑

                     

                     

                     文武両道の烏高の復活には、どうしたらよいかを物語っている。    

                     当時、明治40年私立烏山学館の創立者川俣英夫先生に一礼して出勤してくる職員がいると聞いたことがあった。

                     私の中に「至誠・不屈・礼儀・協同」の「川俣精神」を受け継いでいるが、それによって後輩を鍛えることができなかったと言えよう。私の中にはあるが、形にも中味にも、旧烏高は存在しない。

                     

                     

                     

                    Posted by : 桜の好きなKOMUT | ひとりごと | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | -
                    古きは忘れらる
                    0

                       

                       17時で、勤務期限が完了した。

                       取り立てて宣言するほどのことでもないが、自分を拘束する要素がなくなっているだろうことが嬉しい。

                       

                       33年間小中学校に勤務した後、県立高校の講師を3年間務めた。

                       地方の小中学校は、過疎化・小規模化によって統合・廃校を繰り返し、「学力向上」よりも「現状維持・体力温存」を重視するような環境になっていた。

                       

                       普段あまり勉強をしてはいなかったが、大学で習得した古典文学の価値や、その上塗りとしての大学院での文学教育の方法の研究を、どこかで講義したいと考えていた。そして定年間もなくの3年前、高校講師の場を得た。

                       

                       

                            

                       

                        

                       いざ高校へ行ってみると、生徒はあまり勉強の態勢にいなかった。ばりばりの進学校ではなかったこともあろう。

                       「国語にあって、古典B・源氏物語は簡単な英語より難しい。」という高校生の洗礼にあった。それは3年間続いた。

                       

                       自らの高校時代の思い出やマスコミ等が伝える情報からやる気も募ったが、期待が裏切られるのに長い時間は要さなかった。

                       

                       

                        大学でも同じ。授業中の居眠りと私語が蔓延って文学

                       部が縮小しているという嘆きにあった。左著書。

                        「これに対して他校の教員が、『文学を学ぶ意欲のあ

                       る学生を選び、良質の教員だけを集めて大学を作ったら

                       どうか』との提言を受けざるを得ない」と言っている。
                       

                       学びたいものがある大学に入った学生でも同じなのだ。

                       

                         平成元年、社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成として、

                        「生活科の新設」

                       

                         平成10〜11年 自ら学び自ら考える力(学び手の興味関心の重視)など

                        の[生きる力]の育成として、「総合的な学習の時間」の新設

                       

                       これら指導要領が求める児童生徒像に向かって真面目に指導してきたことが、「面白いことだけを学ぶ」世代を育ててきた。私もその一人なのだが。

                       

                       

                       しょんぼり  これからも、古いものは少しずつ削られていくだろう。児童生徒の

                         興味関心は拡散するばかりで、将来に向かって実を結ぶような教育が

                         行われにくい環境は進行してしまうだろう。

                          PCにもスマホにも、英語を和訳してくれる無料のアプリがある。

                         古典文には、そんな便利なものか見当たらない。探す学習者もない。

                          意欲ある者を集めて「塾」をつくる以外ない。

                       

                       

                       

                      Posted by : 桜の好きなKOMUT | もん・さいじき | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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